しんぼる

 物凄い期待感を持たせる面白い「予告編」というものは、大概にしてその本編に裏切られるものだ。“それ以下”はあっても“それ以上”であることが殆ど無いから。気が付くと密室に閉じ込められている男の脱出劇という『SAW』や『CUBE』を連想させる設定の物語と、まるでダーレン・アロノフスキーやアキ・カウリスマキの映画のような南米のレスラーの物語。一見全く関連の無い2つの物語が平行で進むという、村上春樹王道の構成で作られた松本人志の2作目。全く持って訳の分からないその「予告編」を本来の意図のまま「予告編」に留めてしまう程それを超越した、完全に訳の分からない(この場合は最高の称賛の意としての)映画である。と言うか、少し頭の固い映画ファンが「映画とは何か?」という定説で語ったとき、コレはそもそも「映画ですら無い」と言うだろう。よほどの松本人志ファンで無い限り、正直コレは難解な映画かもしれない。しかもそれは“少し”では無くて“大いに”だ。
まず、子供と年配の方には全く理解されないだろうし全く面白くない映画でしか無いと思う。しかし僕らは例えそれを理解出来なかったとしても、このある種の“教育”を受けて理解しようと努力することもアリなのだ。それは正しく“感性”の問題であり、“感性”とは即ち“感覚”に教育をプラスして生み出されるもの。例えば、通りの向こうを歩いている女性が持っているボッテガ・ヴェネタのバッグをカッコ良いと思える気持ちが“感性”なわけで、そもそもそれが何のバッグかも知らず、もっと言えばそれの何(どこ)がカッコ良いのかも分からない、というのが“感覚”なのである、と思うのだ。だって少なくとも僕は直感だけではそのバッグをカッコ良いと思えなかったし、しかしそれがボッテガ・ヴェネタだと知ると何だか「お洒落だなぁ・・・・」なんて無責任にも本気で思えてしまうのだから。1作目の『大日本人』にしても、劇場で観終わった直後はそれをうまく飲み込めずイマイチ腑に落ちない居心地の悪さのようなものを感じたが、後からDVDを観れば観るほど(理解度が増すほどに)あの映画の凄さ・面白さのようなものが分かってきて笑いの回数が増えて・・・・コレが“感性を磨く”ということかもしれない、なんて思ったりもするのだ。ダウンタウンのTV番組のDVD化が記録的なセールスを誇っているのも同様の理由なのだと思う。基本1回限りである“TV番組”のDVDがそれだけ売れるということは、それだけ何度も観れる(観る価値のある)モノだという証拠なのではないだろうか。
ダウンタウンの国民的人気を決定付けたとも言える大ヒット番組『ごっつええ感じ』が番組史上最高視聴率を記録した95年、その年に松本人志は前代未聞の日本武道館での単独ライヴを行い孤高の存在となったと同時に、TVの“表現方法”に限界を感じ『ごっつ~』を自ら打ち切りにして『VISUALBUM』というビデオシリーズをリリースしていく。こうやって考えると松本人志の映画進出はごく自然な流れなのかもしれない。1作目は日本国内に向けて、そしてこの2作目は世界を意識して作ったという。早くも次回作を物凄く楽しみにさせてくれる監督だ。きっと“ホラー映画”を撮らせたら、最高に奇妙で気持ち悪くそれでいてとてつもなく怖くて可笑しい映画で一気に世界的な監督になるだろうな・・・・なんて思うのは僕だけだろうか?

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