2012

 「8年後、地球に小惑星が衝突し人類は絶滅します」という発表があり、世界中が絶望のパニックに陥った後の“残り3年”を描いた伊坂幸太郎の『終末のフール』の中にこんなエピソードがある・・・。生まれながらにして、回復する見込みの無い難病に侵され寝たきりの子供を持つ父親。彼は、自分が死んだ後に誰がこの子の面倒を診るのか?という大きな不安と共に生きていたのだが、そこにこの人類滅亡のニュース。「どちらかが先に死ぬのではなく、同時に死ぬのだ」という安心感で喜び、世間が絶望に浸っている中で彼はこの日を境に希望に満ちて明るくなる。という、脇役も脇役な小さなエピソードなのだが、この登場人物が1番心に残っている。僕も自分自身の“死”について恐れるのは我が子に対してのみだと思うから。「まだ幼い子供たちを思えば」のみ、自分が死ぬことについて怖くなる。言い換えれば、それを除けば自分が死んでしまうことについては別段“恐怖”のようなものは感じない。それどころか(敢えて異論や反論を恐れずに書くならば)、自分の終わりを意識することで“生”のパワーを引き出すことが出来たり、更には、心のどこかで“人類の終わり”を歓迎しているような・・・・「どうせ、全ては終わるのだ」という気持ちは時に安心感すらもたらす不思議な作用があるような気がするのだ。僕は子供の頃から、台風や大雨の中で妙にワクワクしてみたり、外がそういった状況の中、布団の中で心地よい安心感に包まれたりするところがあった。それは言葉にしてみると、とても理解に苦しむ病的な感もあるけれど、この気持ちを共感してくれる人もそう少なくは無いのでは?とも思うのだが。
 大袈裟な表現では無く文字通り“太古の昔”から“地球滅亡説”というのは常に存在する。有名なのが、太陽系の惑星が一直線に並ぶ“グランド・クロス”で地球は消滅するという説。コレは80年代に一時流行ったが、結局何も起こらなくて「次は99年8月」に持ち越しになった(で、また何も無くて次の“グランド・クロス”は3936年だそうだ)。そして、99年7月にはノストラダムスの大予言説。次に、フランスの誰かが言った06年5月25日に彗星が地球に衝突する説(コレも一時流行って多くの映画を生み出した)。で、今日の時点から1番近い“有力説”がマヤ歴最後の日である2012年12月22日だ(因みに、マヤ歴最後の日は2020年3月21日だという説も既にある)。もっと言えば、実はノストラダムス大予言ってのは本当は西暦7000年なのだそう・・・・・もう、どうでも良い。
 昔から人類はこうやって1つの区切り的な“終わり”を設けることで、絶対に避けることの出来ない“自分自身の終わり”とのバランスを取ろうとしているのではないだろうか?いや、自分自身というより、愛する誰かの死に対し「それは全ての人に同じく起こることなのだ」と納得する為に具現化された究極の“例え話”のような気がしてならない。この『2012』も、世界の終焉の時、それでも最後まで愛する家族を守ろうとする男が描かれる。・・・・それだけと言えばそれだけの話なのだが、この映画の醍醐味は何と言っても「地球が滅びていく瞬間にどうなるのか?」を描いた映像にある。これほど生々しくリアルに描かれた映像というのを我々観客は初めて見ることになるだろう。監督のローランド・エメリッヒは『デイ・アフター・トゥモロー』で温暖化による自然災害で崩壊する地球を、『インデペンデンス・デイ』では宇宙人による侵略での地球の最後を描き、前作『紀元前1万年』では逆に太古の昔を映像化するという荒技に出て話題になった人で、正にこの分野の第一人者。恐らく彼の右に出る者は居ないのではないだろうか。コレぞ映画でしか見られない映像体験(と言うか、実際には見たくない)!劇場向けの映画なので、是非とも大スクリーンで鑑賞することを強くお勧めする。

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