シャッター アイランド

 「この世で大きな使命のある人は、必ず、天はまずその人を精神的に苦しめ、その肉体を疲れさせ、かつ餓えさせ、その行動を失敗させ、その意図する所を食い違いさせる。これは、その人の心を発憤させ、性格を忍耐強くさせ、それまで出来なかったことを出来るようにする為の、天の試練なのである」、という孟子の教えがある・・・・らしい。僕は本業として、とある“美容室業務用品卸業”をやっているのだが、その取引先からの商品に紛れてこの文句が同封されていたのだ。送り主の彼が誰宛に送ったのかは分からないが、僕は基本、商品を直接扱うことはないので僕宛ではないことは明白で、きっと、うちの社員の誰かが彼(送り主)に何らかの相談をして、その参考になれば、と同封したのであろう。しかし、そのA4の紙(のコピー)は僕の机の前の1番目に付く場所に貼り付けてある。出だしの「この世で大きな~」という文面はおこがましいとして、それ以降の文面が正に今の自分に言われているような気がしたのだ。ここ最近抱えている仕事がとにかく上手く行かず、いつも憂鬱な気持ちで目覚める毎日。自分では「問題ない」と思っていただけに、ことごとく立ち上がってくる分厚い壁に流石に疲労困憊している時だった。毎晩、子供が寝てから帰宅するので、唯一の子供との触れ合いは幼稚園に送っていく車内での20分間。「とうと(お父さん)の今度の休みの日は、ウルトラマンごっこをやろう!とうとは何が良い?!」と訊かれ、「・・・・じゃあ、とうとはレッドキングにしようかな」と応えるも、いざその時がくると、なかなか戦える気分にはなれない。だって、もしもこの精神状態で戦ったら、きっとレッドキングはメビウスをコテンパンに泣かしてしまうと思うから。今は相手が誰であろうが負けるわけにはいかないのだ・・・・。そして遂に先日、一緒に入った風呂で、息子から「出来ない約束はしないで」と言われた。今年小学校に入学する、わずか6歳の息子から、である。「そうだよな、出来ない約束はしちゃいけないよな」と素直に思ったが、言葉には出せなかった。それは単に子供の言葉ではなく、正にその時僕が抱えていた悩みとリンクしていたから。「いや、決して“出来ない約束”とかじゃなくて、問題ない、出来る・・・・って、ホントに思ったんだよ。マジで。でも、出来ないんだよな・・・・・どうしてかな?」って言いたかったけど、やはり声に出しては言えなかった。僕は、例えば風邪をひいて熱がある時でも「大丈夫?」と言われるだけで“カチン”ときてしまう程の面倒臭い強がりなので、社員にも友人にも、勿論、家族にすら自分の“抱えているもの”を言うことが出来なくて。そういうのを全て理解し、笑顔で「とうとの勝ちだ」と誤魔化してくれる嫁を思うと尚更“戦えない”のである。結局、そういった一切合財を誰よりも察知しているのは、6歳の息子なのかなぁ・・・・・と思うと泣けてくる。そんな時だから、前述のA4が心に響いたのだった。
 当初09年10月に公開が予定されていた『シャッター アイランド』。マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオの黄金コンビ4度目の超話題作である。この2人の初タッグ作『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01年)は、アカデミー賞で10部門にノミネートし、続く『アビエイター』(04年)では11部門ノミネート(内5部門受賞)そして、前作『ディパーテッド』(06年)では遂にアカデミー賞のメイン「作品賞」とスコセッシ念願の「監督賞」を初受賞しているのだ。で、本作である。当然ながらこの映画は制作当初からアカデミー賞狙いの最有力扱いで、だから、そのレース真っ只中の10月に公開予定であったのだ。夏くらいから劇場の“予告編”でガンガン流れていたのに気が付けばいつの間にかそれが流れなくなり、どうしたんだ?と思っているとまさかの“公開延期”情報。これほどの大作が“公開延期”となった例を他に知らないし、あれだけ世界規模でメディアを動かしておいての“延期”ってのは、そもそも有り得るのか?とすら思うのだが。宣伝費の捻出が困難になったとか、ディカプリオが次作クリストファー・ノーランの『インセプション』に力を入れており、そのプロモーションで忙しいだとか、色んな理由が飛び交ったが、とにかく、この“公開延期”に踏切った関係者たちは相当の覚悟だったと思う。大作が1本コケるとスタジオは飛ぶ、と云われるほど超ギャンブル的なハリウッドでの出来事なのだから。しかも、延期になったのは2月!当初、アカデミー最有力候補と云われた映画が2月公開!?そもそも、アカデミー候補作というのは1月末までの公開作が対象となり、2月に授賞式が行われる。なので、映画界(特に大きなハリウッド・スタジオ)は一気にアカデミー賞に集中する為、2月に公開される映画というのはスタジオにとっては完全にアカデミー賞とは無関係な映画が基本なはず、と思っていたのだが・・・・。
 大御所スコセッシ(特に最近)の映画がこういう経緯に至っていること自体、逆にワクワクさせる。舞台は1950年代のアメリカ。精神病の犯罪者ばかりを収容した、海に囲まれた孤島で起こった失踪事件。もうこの設定を聞いた時点で面白そうではないか?その捜査にやってきた連邦保安官が、ディカプリオ演じるテディである。しかし、彼の抱える悩みや狂気、そして過去の出来事らがこの事件とリンクしていき・・・・スコセッシ王道の“犯罪モノ”から“フィルム・ノワール”、それにニコラス・ケイジの『救命士』(99年)以来の“ゴシック・ホラー”の要素、これまでのスコセッシ映画の集大成ともいえる本作は、勿論「スコセッシと言えば~」の、“人間ドラマ”を軸に描かれる。マイケル・ジャクソンの「BAD」のPVでも有名なマーティン・スコセッシ監督。スコセッシと言えばロバート・デ・ニーロ、と云われる程、この2人は数多くの名作を生み出してきている。73年の『ミーン・ストリート』から、ざっと挙げても『タクシードライバー』(76年)、『ニューヨーク・ニューヨーク』(77年)、『レイジング・ブル』(80年)、『キング・オブ・コメディ』(83年)、『グッドフェローズ』(90年)、『ケープ・フィアー』(91年)から、『カジノ』(95年)など・・・・。気に入った俳優とばかり仕事をすることで有名なこの監督の最近のお気に入りはディカプリオであることは明確で、そのディカプリオにとってもスコセッシは別格な存在である、はずだと思うのだ。『ギルバート・グレイプ』(93年)や『バスケットボール・ダイアリーズ』(95年)で圧倒的な演技力を見せるも、彼のブレイク作『タイタニック』(97年)があまりにも大きかった為、当時世間ではアイドルスターのイメージが強く付いてしまう。しかも、その後『仮面の男』(98年)、『ザ・ビーチ』(99年)、『あのころ僕らは』(00年)と、1番ヤバイ“一発屋パターン”に陥る寸前、01年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で、その本物感を取り戻せたのだから。ただ、あれだけ童顔で甘い顔をしているのに、何故にあんなに無理して眉間にしわを寄せ続ける必要があるのだろうか?と思うのだが、やはりこの男の俳優としての実力は世界トップレベルだと改めて思わせる存在感。圧巻である。もしも彼が噂通り、次作クリストファー・ノーランの『インセプション』の方に力を入れているのであれば、それはスコセッシへの裏切りとみなし、僕はこの先もう2度とディカプリオの映画を観ない、と誓う。

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