タイタンの戦い

 うちの子は“石像”を見ると決まって「近くにメドゥーサが居るよ」と声を潜めて言ってくる。3歳の次男はともかくとして、小学校1年生になる長男も大の本気だ。普段から声の大きい僕は(きっと耳が悪いのだろう)子供たちがまだまだ幼い頃から当たり前に怒鳴ったり叩いたりしていたのだが(過保護な親たちなら、きっと“幼児虐待”だと声を荒げるかもしれないが「ふざけるな」だ。叩かれる痛みを知っている子供たちはその怖さもまた知っているのである!と、思っていたのだが・・・・)今やそのヤンチャ兄弟は完全にそれに慣れてしまっていて、僕が普通に怒っても普通に「分かりました!」と笑いを堪えて返事をする始末。そんな日常で“コレはマジで怒っときたい”という時にどうするか?まさか“痛み”を倍増させるわけにはいかないので、そこで思わず登場したのが“メドゥーサ”だった。最強である。あまりにも言うことを聞かない我が子に思わず言った「メドゥーサが来るぞ!」・・・コレは怖い。圧勝だろう。僕自身、子供の頃に何が1番怖かったか?と思った時、それは迷い無くメドゥーサだったから。
 絶対に倒せないと云われていたクラーケンを倒すために用いられたメドゥーサの首。髪がヘビで、目が合うと石にさせられるのだ。幼い頃に洋画劇場などで何度となく観てみてきた『タイタンの戦い』は、クラーケンやメドゥーサ、巨大サソリに妖怪婆さん等、僕にとってとにかく“恐い物”のオンパレードで、中でも1番恐かったのがこのメドゥーサだった。ヤンチャ兄弟に“メドゥーサ”とは何たるか?を散々言い聞かせたオレは圧勝なのである。そんなある日、子供たちを連れ劇場に「ドラえもん」を観に行った時、ポスターの前から離れようとしないうちの子らが一体何にそんなに釘付けなのだ?と思い見てみると、なんとメドゥーサの首を掴んで雄叫びをあげている戦士のポスター・・・・親子3人で釘付けになったそのポスターは「まさか!?」と思いつつも、紛れもなく『タイタンの戦い』であった。
 つい先日のこと。19時から予定している長引くであろう打ち合わせに備え「早いけど、今のうちに飯食っとくか・・・」と思い、最近よく通っているラーメン屋に向かった。他人にお薦めするほど気に入っているわけではないのだけど、何故だか外で「飯食うか・・・」と思う度にその最有力候補としてこのラーメン屋を思うのは、やはり無意識レベルで“大のお気に入り”なのだろう。何故にそう手放しで「お気に入りの店」だと公言出来ないのかと言うと、多分“人”かなぁ、なんて思うのだ。2名程居るホールスタッフ(接客兼配膳兼会計係りといったところか?)は問題無いとして、おそらくその店の“主”であろう厨房の奥に居る人間が全く持って謎なのである。決して表に出てくることのない(少なくとも僕が見る限りは)その人物は、客に向かって「いらっしゃいませ」だの「有難う御座いました」だのといった声を掛けることもなく黙々とラーメンを作っている雰囲気で、意識してしまうと一種の威圧感すら感じさせてしまう程。何気を装って厨房の奥をチラリと見た瞬間、思わず目が合ってしまったその“主”は、全くもって僕の予想通りニコリともせずにすぐさま目を逸らしたのものだから、どうにもココを人に薦める気にはなれないのだった。一昔前に読んだ「ラーメン屋は何故にそんなに偉そうなのだ!?」という雑誌の特集を思い出す。その日はまだ18時前だったので案の定店内はガラガラで、客はといえばテーブルに目一杯新聞を広げているサラリーマン風の男性一人。「オレがそんなに珍しいか!?」と腹立つ程その客がビックリした目でオレを見てくるので、彼から1番遠いカウンター席に座った。そして、訳も無く緊張気味の店内で麺の無くなったスープをしつこく蓮華ですくいながらその違和感にふと気付いたのだ。小学校3~4年生位の男の子ともう少し下の女の子。お兄ちゃんの方はいっちょまえのラーメンを、そして妹の方は子供用サイズのラーメンを、美味しそうに一生懸命に食べているのである。この兄妹はいつから居たのであろうか?何に違和感を覚えたのかというと、まず彼らが全くの2人きりであったこと。そして2人の食事をする姿勢の良さであった。しかし、親はどこ行った?まさか子供らだけで金持たされて晩飯に行かされているのか?幼い頃に両親が離婚した事情で、度々金だけ持たされて一人で食事をしていた僕にとって、こういった状況には敏感なのである。それを見るのが切ないのである。彼らをチラチラ見ながらレジで清算をしていると、奥の厨房から出てきた男が「旨いか!?御飯は要らんの?」と子供たちに声を掛けてきた。そして、無意識に男の子の隣に座り、すぐにまた腰を上げ立ち上がったのを僕は見逃さなかった。椅子に座らなかったのは突然来店してきた客に備えてのことだろう。彼はきっと根っからの職人なのだ。店を出てからもガラス越しに、まるで他人の家庭の団欒を覗き見するような感覚で彼らから目を離せなかった。腕を組んで仁王立ちしながら子供たちを見つめる彼の、優しさと愛情に満ちたくしゃくしゃになった満面の笑み。思わず「美味かった、また来ます」と声に出して言ってしまい、恥ずかしくなり慌てて周りを見回す。親にとって我が子はいつだって別格であり特別なのだ。それで生計を立てている“お客様”よりも勿論断然別格なのだ。ある意味矛盾しているようだけど、それは当たり前にそうなのである。
 81年の名作『タイタンの戦い』のまさかのリメイク作。今思えば「誰それ?」と突っ込みを入れたくなるが、当時から「オールスター・キャスト!」と云われていた大作のリメイクらしく、主演のサム・ワーシントンを筆頭に、レイフ・ファインズやリーアム・ニーソンといった実力派俳優が集結。正に“演技とCGとの融合”を狙いました的なキャストである。オリジナルの設定で言えば、この『タイタンの戦い』は正しく映画向きであろう究極の非現実な“神様”の物語だ。“神様の物語”。にも関わらず、その内容は実に愚かな人間的で、それを敢えて狙ったのかどうかは分からないけど、物語自体はあまりにも陳腐で薄情なものだった。神様同士の争いなのだが、所詮自分の身内が1番可愛く、理由がどうであれ息子(身内)を勝たす為にあらゆる“神業”を使って戦う、という対戦物語。神様ですら自分の身内に精一杯なのだから、しがないサラリーマンの息子である僕が神様に救われるわけが無い、神様だってそれどころじゃないのだ、と現実に目を向けさせられた僕にとっての貴重な1本である。そんな映画の、まさか?のリメイク作。流石にその粗筋自体は少々変更になっていたが、僕にとってのポイントである“怖い怪物”等々はそのままで「おぉ!?あの目の無い老婆たち・・・・」とか「巨大サソリ!」であるとか「無敵のクラーケン!」などが、僕の記憶の数百倍のリアル性を持って甦る!ゼウスが「クラーケンを解き放て!」と言い放つセリフがオリジナルと同じで、その感動が一層の恐怖を引き立て・・・・そして、なんと言ってもメドゥーサ!おっさんになった今でも「お前、そんなことしてるとメドゥーサが来るぞ」と言われたらマジでビビるかもしれない、と思うほどであった。大作映画の伝説的映画であり、未だカリスマ的人気を誇る映画のリメイク作。その理由を知る意味でも本作は必見である。しかも今回は3D上映!実に「映画らしい映画」だ、と思った。

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