トイ・ストーリー3

 毎年夏に我が家で行われる“カレー祭り”。庭でバーベキュー&カレー、そしてビール!という、いわゆる炎天下での飲み会である。去年は大人・子供合わせて50人くらいが来ただろうか・・・・我が家でやっているとは言え、主催は親しい友人がやっており、正確には“我が家がその会場”という形になる為、僕の全く知らない人が普通にリビングでくつろいだりもしていて自分自身かなりの現実逃避を味わえる1日なのである(翌朝起きたら知らない人が泊まってたりもするし)。毎年恒例となったこのイベント、開催の2日後くらいまで二日酔いで朦朧としている。が、3日も経てば早くも翌年の開催が待ち遠しくなり、数ヶ月間はその思い出だけで幸せになれるほど、僕にとって夏の一大イベントだ。大好きなビールとカレー、そして何より、田舎暮らしがしたくて決めた(市内から外れた)遠方の我が家までわざわざ足を運んでくれる大好きな友人(と、その友人)らと一緒に過ごす1日なのだから、もうコレ以上の幸せを望む方が罰当たりというものだろう。
 前回に引き続き未だ“カレー”ネタを引っ張っているが、それくらいに僕はカレーが大好きなのである。「毎日カレーでも全然いい」と思い実際にその昔「何日間カレーだけで生きていけるだろう」企画を人知れず試みたことがある。「毎日の食事(当時朝食は食べなかったので1日2食)を純粋にカレーだけで生きてみよう!」企画である。11日間であった。12日目にしても決して挫折したわけではなく、その日初めて彼女(現嫁)の実家に泊まりに行った際に、ただお母さんに「今晩はカレーにして下さい」と言えなかっただけなのである。その間誓って本当にカレーと水とビールのみで難なく生活していたのだけど。何故にこんなに好きなのか?は前回の『エルム街の悪夢』で説明をしたのだが、もっと突き詰めればやはり“子供の頃の記憶”になるだろう。僕は幼少時代、家族の事情で夜は殆ど一人で過ごしていた為、夜御飯ってのは冷めているのが基本であった。電子レンジなんてまだ無く(少なくても我が家には)、小学生の低学年にガスコンロも危なっかしくて触らせたくないだろうからコレは致し方ない。温かくないからといって、それは母親からの愛情がこもった手作り料理なのに変りは無く、それを不満に思ったことは“鰻”のとき以外は無いのだけど、中でもカレーライスは別格だった。唯一御飯だけは炊飯器に入っているため温かいので、熱々の御飯にカレーをかけるだけでそれはもう格別なご馳走だったのだ。なので、嫁から「今夜は時間が無いからカレーでいい?」と訊かれると「おいおいおいおい、カレーはご馳走のトップクラスだろ!・・・・時間が無いから?オレが分かるように説明してくれ」と言いたくもなるのだ。子供の頃の“思い”ってのは一生もんなのだと思う。
 史上初の全編CG映画として話題となり特大ヒットを記録した『トイ・ストーリー』の3作目でありシリーズ完結編となる本作は、アップルを退社したスティーヴ・ジョブズが、ルーカス・フィルムのCG部門を買収して独立会社としたピクサー社の11作目の長編映画ともなる。大好きなピクサーについては以前『カールじいさんの空飛ぶ家』で書いたので今回は端折るとして、世間一般では「ハズレ無し」と云われているピクサー映画の前作『カールじいさん~』と前々作『ウォーリー』が正直言って個人的に「イマイチ」だっただけに、今回の『トイ・ストーリー3』はピクサー王道の“泣きの大傑作”で完全復活作とも云える感すらあった。この大ヒットシリーズは、ともすれば『ドラえもん』や『アンパンマン』のようにこれから何十年でも何十本でもシリーズ化が可能である普遍的な設定であるにも関わらず(なんと言っても“動く玩具”の話なのだから!)、主人公である“玩具の持ち主”を現実の時間軸を持って描くことで、ある意味取り返しの付かない“聖なる領域”に達することに成功したのではないだろうか。今回の『3』で、ウッディやバズの持ち主であるアンディは思春期を迎えた青年になっており、当然玩具にはもう全く興味を持たなくなった年頃なのである。対照的に全く年を取らない玩具たち・・・。この設定を想像するだけで泣けるだろう。そして“完結編”に相応しいあまりにも悲しい締め括り。こんなに泣けるハッピーエンドってのは、この設定以外ではなかなか難しいだろう。新たに3D化された前2作が再公開され再び大ヒットを記録したのも納得である。このラストが分かってからの前2作はまた新たな視点からの“泣き”が待ち構えているのだから(とは言っても、来年公開の『カーズ2』の同時公開作として早速『トイ・ストーリー』の新作短編が製作中なのだそう)。
 「まんが日本昔ばなし」から「クイズダービー」そして「8時だよ!全員集合!」までの流れは子供の頃の僕にとって究極に幸せなひとときであった。お金のことや仕事のこと、思わず友達に言ってしまった心無い一言なんかをいちいち考えてしまうことなく、ただただ純粋にテレビに集中して孤独感すら忘れられたひと時。僕はあの頃の感覚を今ではすっかり無くしてしまっていると気付く。でもそれは大人になれば仕方の無いこと。“赤”が好きなうちの長男と“青”が好きな次男。何を選ぶにしてもその色が何よりも重要であり、色をめぐって本気で喧嘩をしてダダをこねる。しかも水色では納得せず怒り出す3歳の次男に対し「めんどくせーな~!青は青だろうが!」と怒りながら、ふと思うのだ。僕が今見ているこの“青”は、僕の幼少時代にも同じ“青”に見えていたのだろうか?と。大人になる為に色んなことを学び、色んなことを頑張って努力して変えてきたけど、何も変える必要なんて無かったことも沢山あったんじゃないかと、そう思ったりもする。

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