インセプション

 まだ天文館のアーケード内に映画館があった頃、よく映画館へと続く長蛇の列を見掛けたものだ。大ヒットしている映画なんかはアーケード入口のタカプラまでその列が続いていることもあり、同じ映画ファンとしてはなんとなく皆との一体感を伴う一種のお祭りごとのような気すらするものだった。劇場の効率が断然に良くなったのか?単に劇場へ足を運ぶ人が少なくなったのか?それともその両方なのか?今では映画を観る為に2~3時間列に並ぶというなんてことはまず無くなったけれど、アレはアレで今に思えば古き良き時代とも云える映画という娯楽の楽しみ方の1つだったのかもしれないと懐かしく思う(たかだかまだほんの10年くらい前のことなのだけど)。中でも97年の『タイタニック』は相当なものであった。上映時間も長いものだから1本逃すと3時間待ち確定になってしまい、その為か常に列が出来ていたように思う。ネットでの事前購入や座席指定などの環境が整ってきた現在ですら『アバター』の列を思い出して貰えれば想像が付くであろう。あの時代で、『タイタニック』は『アバター』に抜かれる迄映画史上1位の興行成績・動員数を誇っていたのだから。
 レオナルド・ディカプリオという俳優は僕にとってどうしても“アイドル・スター”のイメージが拭えない。この人は『タイタニック』以前に『ギルバート・グレイプ』(93年)で既に天才子役と云われ、その後の『バスケットボール・ダイアリーズ』(95年)や『太陽と月に背いて』(95年)、そして泣きの大傑作『マイ・ルーム』(96年)で充分過ぎる程にその実力は証明済みなのだけど、やはり『タイタニック』のイメージが強過ぎるのだろう。それをリアルタイムで体験している僕は尚の事“ディカプリオ=タイタニック”が未だに拭えないのかもしれない。
 そのディカプリオの最新作となるのが今回の『インセプション』。そして共演に我らが渡辺謙である。この2人の共演を見れる、というだけで充分に映画館に足を運ぶ価値があるというものだ。子供の頃から憧れて観続けた遠い異国の物語“ハリウッド大作”に、同じ日本人が出演するなんてのは映画ファンにとってはとても嬉しいことである。今や日本が誇るハリウッド・スターとも云える渡辺謙。しかしながら、ほんの少し前まで、日本人がハリウッド大作に出演するなんて想像すら出来なかった気がする。まず見た目(体型)から見劣りするし、基本字幕の無いアメリカの映画市場を考えるとセリフを流暢な英語で喋れないとダメだろうし、とか色々な理由となる持論があったのだけど・・・・。いつの間にか6本目のハリウッド出演作となっている渡辺謙。とは言っても、03年の『ラスト サムライ』に関しては設定が設定なだけに、どっちかと言うとトム・クルーズの方がこっち(日本)のゲストという感がする映画だったし、アジアのオールキャストを狙ったスピルバーグ製作総指揮『SAYURI』(05年)にしても、イーストウッドの『硫黄島からの手紙』(06年)にしても、渡辺謙ハリウッド進出!とは手放しで喜べない感は同様にあった。そして、それらと一線を画す出演作であったはずの『バットマン ビギンズ』。クリスチャン・ベイルを主演にこれまでの“バットマン”シリーズを全て覆すようなシリアス路線で、バットマンの誕生秘話を濃厚な人間ドラマを軸に描いたこの大傑作の中、しかし彼は唯一マンガっぽいキャラになっていただけにとても残念なのであった・・・・。そうした出演作を経て、今回の『インセプション』は渡辺謙(と彼に夢を託す我々日本人映画ファン全員)にとって、いよいよ、というか、ようやくな1本であるだろう。
 監督はその『バットマン ビギンズ』と『ダークナイト』で一躍時代を代表するほどの巨匠に達したクリストファー・ノーラン。他人の夢の世界に入り込み、その人のアイディアを盗む企業スパイの物語、という何ともぶっ飛んだこの設定は原作を持たないオリジナル脚本なのだそう。コレが先に本として出版されていたら、きっと“映像化不可能”だと云われたに違いない。古くからの彼のファンは、この映画の設定や作風が初期の『フォロウィング』(98年)や『メメント』(00年)に直結しているとすぐに気が付くだろう。映像エフェクト満載の超大作であるにも関わらず、物語重視の濃厚な映画に仕上げられた本作。こういう映画を撮らせれば、今のところ間違いなくクリストファー・ノーランが断トツである。

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