クロッシング

 先日、嫁から頼まれて朝から庭の芝&草刈りをやった。大した庭でもなし、そんなに頻繁に手入れなんかすること無いだろうに・・・・と思うのだが、嫁曰く「草が伸び放題だと色んな虫が暮らし易くなる」のだとか。“暮らし易い”というのは何だか良い響きだが、確かに我が家はたまに見たこともない虫が出てきて不快になることも多いので、彼らが暮らし難くする必要性も分かってはいた。ビーバーで気持ち良く均していくと、バッタなどの羽虫が僕をめがけてガンガン飛んでくる。たまにテントウムシのような攻撃性ゼロの虫まで僕の顔の周りをうざったく飛び回るので、まるでみんなして僕に攻撃を仕掛けてきているような気がするのだ。彼らの世界をビーバーで容易く切り倒していっているのだから、もしかすると“気がする”のではなく虫たちは本当に攻撃してきてるのかもしれない。まさに『アバター』のあのシーンのようで、何だか自分がとても悪者になった気がして滅入る。確かに元々ココは彼らの場所であり、そこに後から家を建てて勝手に住みだしたのは自分たちだ。だからこそ、我が家では家に入ってきた虫たちをなるだけ殺さず“逃がす”ことを心掛けているのだが・・・。人間にも虫にもそれぞれの立場での云い分ってのがある。
 スティーヴン・ハンターのベストセラーをマーク・ウォールバーグ主演で映画化し大ヒットした『ザ・シューター 極大射程』(07年)のアントワーン・フークア監督の最新作『クロッシング』は、久々の骨太なクライム・サスペンスだ。出演はリチャード・ギア!最近だと(08年の『HACHI 約束の犬』は無かったことにして)『消えた天使』(07年)や『Shall we Dance?』(04年)だろうか?しかし僕の中では未だ、超名作『天国の日々』(78年)と『愛と青春の旅だち』(82年)のあの人、だ。そして『ビフォア・サンライズ』(95年)『ビフォア・サンセット』(04年)のイーサン・ホークと、『ホテル・ルワンダ』(04年)や『オーシャンズ』シリーズ(01年~)のドン・チードル。この3人が物語の主演を務め、各々のエピソードが宿命的に交差していく、という群像劇スタイルである。他に『ブレイド』シリーズのウェズリー・スナイプスも出演しているが、とにかく僕はこの3人の俳優が大好きなので、個人的には正に夢のような共演作!『エクスペンダブルズ』までは言い過ぎだとしても、かなり手放しでテンション上がる顔ぶれだ。
 家族を守るため、どうしても金が必要な麻薬捜査官のサル(イーサン・ホーク)、永年の警官生活にも関わらずコレといった武勇伝も作れないまま退職を迎え、思いを寄せていた娼婦に愛を告白するエディ(リチャード・ギア)、一方、潜入捜査官としてバリバリ実績を積むタンゴ(ドン・チードル)は、自身の昇進と引き換えに親友であるギャングのボス、キャズを罠にかける指示を受けていて・・・・。アメリカの麻薬捜査官でも潜入捜査官でもない僕らからしてみれば、この設定は確かに現実離れだとしても、その根底にある“思い”や“葛藤”ってのが実にリアルで息苦しいのである。刑事だからといって、求めるのは“正義”ではなく、金だったり家族だったり、友情だったり・・・・要はそれぞれの価値観と物の見かたで、全ては180度変わってしまうこともある、ということ。
 伊坂幸太郎の「モダンタイムス」の中で、若い夫婦が部屋でジョン・フォードの『駅馬車』を観ているシーンがある。様々な事情を抱えた人々を乗せた馬車を襲撃するアパッチ族、絶体絶命の中、主演のジョン・ウェインが颯爽とアパッチ族を撃ち倒し、更に馬に乗った騎兵隊が助けにやってきて次々とアパッチ族をやっつけていく!最大のクライマックスである爽快なシーンだ。そこで主人公の妻は言う「何これ?信じられない。一方的にアパッチ族をみんなで殺して、すごく気分悪くない?」と。「いや、先に主人公たちを襲ってきたのはあっちだし」と言い返しても「主人公って何?」確かに、アパッチ族からしたらアパッチ族が主人公だろう。「もしかすると、あの馬車の御者がアパッチ族の娘を昔襲ったことがあって、その復讐に来たのかもしれないじゃない?」・・・・コレが僕らのリアルな日常だと思うのだ。要は、都合の良い部分だけ切り取って一体何が分かると言うのだ?の連続だと。親しい友人が僕の知らない誰かと喧嘩したとすると、僕は100%その友人の味方であり、その喧嘩相手は僕の敵である。例え、喧嘩相手の言い分なんか何も訊いてなく、実情は何も知らなかったとしても。様々な角度からそれぞれの視点があり、各々の言い分がある。突き詰めれば「正義って何?」ってなことになるわけで・・・・。
ハリウッドってのはその辺が実に巧く、いつだって“悪者”はもう徹底して“悪”として描かれるのが鉄則となっている。先に伊坂幸太郎を挙げたついでに、彼の作品で言うならば「マリアビートル」に登場する“王子”という中学生のように。相手は中学生にも関わらず、そこに一切の共感や同情などの感情移入を許さない徹底した“悪”作り。だからこそ僕らは安心して“悪”がやっつけられ痛め付けられるのを観ていられるのだろう。しかし、この『クロッシング』という映画にはそこが作り込まれてはいない。明確な“悪”や“正義”の基ではなく登場人物は各々、自身の極端にプライベートな事情で葛藤する。物凄く人間臭いのだ。だからこそ僕らは観ていて息苦しくなるのかもしれない。
わずか数時間で自分らの住む世界を全て壊し、平らな草原に変えてしまった巨大生物は彼らにとってそれはもう極悪の対象であろう。しかし僕は、得体の知れない毒虫に刺された息子の復讐をする為に、ビーバーを持って彼らの世界で大暴れをするのだ。

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