クレイジーズ

 昔から「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド」というシリーズが大好きだった。ゾンビを撃ちまくるアレである。ゲームセンターという場所には滅多に行かないが、何かのきっかけで行くことになった時も僕はこのゲームしかやったことがない。って言うか、このゲームだけを何度も何度もコンティニューしてやり続けるほど。映画の『ゾンビ』が大好きだし、何より鉄砲で撃ちまくる爽快感がたまらない。しかし、僕がそれのソフトと鉄砲型のコントローラーを喜んで買って帰った夜、嫁のブーイングは凄まじいものであった。3歳と5歳の息子2人と一緒に「死ねぇ~!」、「って言うか、もう死んでるし!」とか笑いながらゾンビを撃ちまくっているのだから無理もない。我が家の教育環境の悪さはちょっとしたものである。買って早々に“禁止令”を出された為、嫁の目を盗んで息子と一緒にこっそりやったりしていたのだが、その“こっそり感”というのがまた面白さを倍増させるような気がするから不思議だ。ある日、息子が友達数人と一緒に学校から帰ってくるなり「とうと(お父さん)!“怪獣バンバン”は!?(我が家では「ハウス・オブ~」をこう呼んでいた)」と訊いてくるので、隠してあるソフトを取ってあげたら、そのゲームソフトとTVのリモコンをビニール袋に投げ込み、すぐにまた慌てて出て行った。帰ってきてから訊いてみると友達の家でやろうと考えたらしいのだが、その友達の家にはWiiが無く結局出来なかったそうだ。しかし、何故にあの時TVのリモコンまで持って行ったのか、未だに謎である。
 前作『パーフェクト・ゲッタウェイ』(コレがまた予想以上に面白かった!)でミラ・ジョヴォヴィッチと共演したティモシー・オリファント主演の『クレイジーズ』は、ゾンビ映画の教祖的存在であり・・・・と言うか、そもそも“ゾンビ”の定義自体を作った生みの親とも云えるであろうジョージ・A・ロメロの73年作のリメイクである。時期的に、ちょうどこの前後に作られた『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(68年)と『ゾンビ』(78年)が今や歴史的なゾンビ映画の金字塔となり、その存在があまりにも大きい為かファンの間でも隠れた存在になっていた『ザ・クレイジーズ』だが、“細菌が感染して発狂する”という、ゾンビともまた違うアプローチは『バイオハザード』(01年~)やダニー・ボイルの『28日後・・・』(02年)に近く“死人が動き人を食う”という設定よりもむしろ現実味を帯びていて怖い気がする。73年の時点で既にこういった設定の映画も撮っていたっていうのは、やはり巨匠ロメロ、教祖と呼ばれる所以であろう。その徹底したドキュメンタリー風の描き方は、最近のロメロ・ゾンビの『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07年)や『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(09年)と同様で、このタイミングでのリメイク作公開は、正に“満を持して~”という感じではないだろうか。
 もしも僕が「1番好きなホラー映画は?」と訊かれればサム・ライミの『死霊のはらわた』(83年)だし、「1番怖かったホラー映画は?」と訊かれれば清水崇の『呪怨』(99年)だったりするのだけど、じゃ「1番怖い人間ドラマは?」や「1番哀しい人間ドラマは?」と訊かれれば絶対に『ゾンビ』だ。ビデオショップの店員じゃなくて本当に良かったと思う。“ゾンビ”ファンの方は大方同じ意見だと思うのだが、ロメロの定義するゾンビ、ロメロの描くゾンビ映画というのは実は究極の人間ドラマなのである。噛まれてしまえばいつか必ずゾンビになってしまう、感染していればいつか必ず発狂する・・・・だとすれば1番有効な自己防衛手段は“その前に殺せばいい”となるのが自然だ。が、分かってはいてもそれが出来ないのが人間だろう。ましてや、もしも自分の家族が噛まれたら?(感染したら?)自分の子どもだったら?
 記念すべきゾンビ映画第1作目である『ザ・ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』。ゾンビとの壮絶な死闘の末、命からがら独り生き残った主人公を、本来は助けに来たはずの軍隊があっけなく撃ち殺してしまうラストの衝撃は相当なものであった。一体、誰が生存者で誰が感染者なのかもう分からなくなってしまっているカオス状態。この『クレイジーズ』は、その辺の恐怖をテーマに描かれている。感染の拡大を防ぐため、感染地域を全滅させようと企てる軍隊(政府)と、その地域にわずかに残っている生存者たち。更には生存者同士でも誰が感染者(いずれ発狂する者)なのか分からなくお互い疑心暗鬼に陥る恐怖。単に敵は“感染者”だけではなく、同じ人間同士も、というところを強調して描いているのが、この映画が『ゾンビ』と一線を画すところだ。究極に哀しく切ない人間ドラマ。必見である。

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