アジャストメント

 僕は、家に仏壇があるので仏教なのだろうか?親父が死んだ時に「仏壇が必要だろう」と思い買ったのだけど、恥ずかしながら仏教のことは何一つ解っていない。って言うか、仏教のみならず基本的に“宗教全般”について何も語れないのだけど、僕は“神様”を本気で信じている(かと云って“神道”でもないのだが)。このきっかけになったのは確か小学校4年生の時で、その時の事を僕は自分でも不思議なくらいに結構はっきりと覚えているのだ。あれは音楽の授業での笛のテストの時。あいうえお順で進むテストの“坂元”の順番は10番目くらいだったろうか?クラスの友達が着々とテストをクリアしていくだけに、全く練習をしていなかった僕は人生史上最大のピンチを迎えていたのである!テストの間中、僕は「神様お願いします!次は必ず練習しておきますので次回にして下さい!」とただひたすらに心の中で唱えながら目をつぶって祈る事しか出来ない。「みんな上手だねぇ~、さぁ、次は・・・・坂元くん、坂元豪くん」・・・・もしも僕がこの時に爆弾を腹に巻いていたならば間違いなく赤色のスイッチを押していただろう。と、その時、授業の終了を告げるチャイムが鳴ったのである。くどいようだが、もしも僕の腹に爆弾が巻かれていたならば、このチャイムに救われたのは僕だけではなく、先生を含むクラス全員の“未来と希望”だったのだろう。神様に救われた僕は、それから事ある毎に調子に乗って安易に神頼みをするようになり、で、また幾度となく救われてきているのである(嫁にはその度「運が良いねぇ・・・・」で済まされているが)。しかし、その“運が良かったこと”も“運がなかったあの日の事”も、実は全て最初から決まっていたことだとしたら・・・・?きっと誰もが1度はそんなことを考えたことがあるのではないだろうか?「結局自分はこういう運命だったのだ」と。
 そもそも“運命”とは最初から決められているものなのか?それとも自分で切り開いていくものなのか?そんな永遠のテーマとも云える疑問をサスペンス・タッチで描くのが本作である。きっと人はみんな自分の都合の良いように両論をその都度使い分けているのだろう。思い通りになった時は「コレは運命だ」、そして思い通りにならなかった時は「運命なんて自分で切り開くものだ!」と。僕なんか正にそうだ。運が良い時は「オレの運命なのだなぁ」と都合良く思うくせに、正月のおみくじでは「自分の運命は自分で切り開くのだ!」と言いながら大吉が出るまで何度もおみくじを引き続けるのだから。・・・・あ、すみません、実は「運命ってのは最初から決められているんです」ってことで「自分で切り開く事は許されない」というそんな世界が描かれているのが本作『アジャストメント』である。主人公は政治家のデヴィッド。彼は人生に於いて“出会うはずではなかった女性”と恋に落ちてしまうのだが、そこで登場するのがグレイのコートに山高帽を被った出で立ちの“運命調整局”の方々。本来の人生に戻す為に人の人生を修正していく任務を逐った人たちである。あぁ、そんな人たちがいるのか・・・・まぁ、居たとしてもそれほど不思議じゃないな・・・・ってな感じを抱いたのは僕だけだろうか?恋人と引き裂かれた主人公デヴィッドは運命に逆らってでも“人生は自分で切り開く”べく彼ら(運命調整局)に立ち向かっていく。単純に云うと、実らぬ恋をなんとか成熟させようとする『ロミオとジュリエット』的な“SFラブストーリー”ってなジャンルになるかもしれない。だけども、この映画のクライマックスで、2人で手を取り合って運命に逆らいながら走り抜く姿。観ている僕らは彼らと一緒に“運命”から逃げ、自分の理想とする人生を掴み取ろうと命を賭けて努力する、そのカタルシスこそが涙あふれる絶品の秀作になっているポイントなのだと思う。主役であるデヴィッドを演じるのはマット・デイモン。最近では『インビクタス/負けざる者たち』(09年)や『ヒア・アフター』(10年)、『トゥルー・グリッド』(10年)などの名作が相次ぎ、彼の代表作とも云えるジェイソン・ボーン・シリーズの4作目も控える今最も旬な俳優の一人だ。“運命に立ち向かう”人物という非現実的な設定にも関わらず不思議なくらいに違和感なく物語に集中することが出来るのは彼の信頼感溢れる安定した演技力があるからこそだろう。それにしても原作のフィリップ・K・ディックって人は改めて凄い作家だと思う。82年に死んでから実に30年近くが経っているというのに未だこうやって原作の映画化が続いているのだから。しかも彼の映画化は『トータル・リコール』(90年)や『スクリーマーズ』(95年)、『マイノリティ・リポート』(02年)、『ペイチェック』(03年)、『スキャナー・ダークリー』(06年)に『ネクスト』(07年)といった、一環して“非現実的なSFモノの秀作”であることも特筆したい(映画化に当たっての出来の善し悪しは別として)。そして何と彼の代表作とも云える82年の『ブレード・ランナー』も現在リメイク企画中!だというのだから楽しみな限りである。
 さて、僕は先日とても不思議な体験をしたので最後にそれを書きたいと思う。とあるパーキングでの出来事。駐車場に止めた車を出そうとシフトレバーをバックに入れてアクセルを踏み込むのだけど全然動かない。空ぶかし的なエンジン音が鳴り響くだけなのである。おかしい。ニュートラに入っていない事も確認するが問題無し・・・・それを2~3度確認した後初めて気付いたのだ。ギアがドライブに入っていたことを。まぁ、普通にこのまま行けば前面のコンクリート壁に激突だ。何故に車は進まなかったのか?車輪止めは裕に超えるくらいはアクセルを踏み込んだはずである。その時の事を考えると「車輪止めを超えるほどアクセルを踏まなかったのだ」と考えるのが一般的だと云うのは自分でも分かっている。しかしあの時、地下駐車場の片隅でロングコートを着て山高帽を被った不自然な男がじっと僕を見ていたような・・・・そんな気がして仕方ないのだ。

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