麒麟の翼

 僕は昔から身の廻りのメーカーの種類をなるだけ少なくするように心掛けている。例えば、会社も私用車も全て日産車で統一していたり、家電は大体ソニーといった具合に。とは言っても、ソニーはエアコンやら洗濯機やら冷蔵庫なんかは作ってないから、オーディオ関係がソニーで後はバラバラなのだけど、それにしてもなるだけメーカー数は増やさないようして更にそれらを買う店は某田電気と決めているのだ。何故かというと、同一のメーカーだと大体使い勝手が同じで扱い易いし、そして何よりアフターというかメンテ的なものが抜群にやり易くなってくるから。いつも同じ電気店で買い物をするのもこの理由だ。故障やなんかのとき、以前の対応例をこちらから挙げ易くなるし、顔見知りのスタッフさんが出来たり、配達とかで家も覚えて貰えたり・・・・。

 そんなことは分かっていたはずなのだけど、数ヶ月前に嫁が某's電気で掃除機を買ってきたのである。何故?と問うと「安かったから」。だからというワケではないが、買って半年後にはもうモーターの調子が悪くなった。ま、安かったのだから仕方ない。で、購入した某's電気に持っていき1週間後に修理が完了!戻ってきたのだけど、全然直ってない。同じ症状のままだ。再度また持って行くとおばちゃん店員から「このまえ修理したからそんなはずはない」と断言されつつ、その場でスイッチを入れると問題無く動いたそうで嫁は仕方なくそのまま持ち帰ってきた。

 で、帰宅後掃除を始めたらモーターから家中が煙たくなる程の物凄い煙が吹き出し大惨事に!たまたま家にいた僕は驚き、そこで初めてその一部始終を聞いたワケなのだ。その電気店でのやりとりを聞き「ほんの2~3分の試運転で何が分かる!?」と大いに憤った僕はそのメーカーに直接電話をしたのであった。その時にたまたま症状が出なくて認められなかった時の悔しさ&怒りのバロメーターってのは結構なものだ。今日のオレはもう手に負えない程のクレーマーになってやるぞ!と意気込みながらメーカーへ直電。正にクレーマーの中のクレーマー!サドンデスクレーマーだ!電話口で丁寧な口調の女性に訊かれるまま自宅の電話番号をまず伝えると「あ、坂元様、いつも太陽光発電でお世話になっております」だと。「・・・・いえいえ、こちらこそ。なんかすみません・・・・掃除機の使い方が乱暴だったですかねぇ・・・・」と意味も無く謝ってからのクレーム。そしてその数時間後にはメーカー名の入った車が代替え品持参で家まで取りにきてくれた。「こんな安い物の為にすみません・・・・っていうか、こんな安いのしか買えずすみません」とメーカーさんに言いたい。

 その掃除機が太陽光と同一メーカーだったとは自分でも気付いていなかったのだけど、それにしてもこういうことなのだ。だから僕は昔から、なるだけ生活をしやすくする為に身の回りのものは最小限に少ないメーカーで統一するようにしている。コレはまた、そうすることで“選ぶ範囲が狭くなる”という利点もある。これだけ物が溢れている時代に1つをチョイスするというのは至難の技。だからこそ最初から「この中から選ばなければいけない」という自分に課せたルールは色んな諦めも納得した上で決められて楽なのだ。そして何より、使い慣れた、見慣れたモノに対する「コレなら間違いない」という安心感。例えば異国の地でコカ・コーラの自販機を見つけた時のような。

 東野圭吾も、一時期の僕に取って正にそんな存在であった。長年毎日寝付くまでの間に読書をするのが習慣となっているので週に1~2冊は何かしらの本をコンスタントに買っているのだけど、買うのに迷ったら?もしくは欲しい本がなければ、もう迷わず東野圭吾を買っていた(今は全作読破してしまい、そうもいかないのだけど)。「裏切られない」という安心感。それと、例え“イマイチ”だったとしても自分自身に納得のできるチョイス。コレは僕にとって、東野圭吾と道尾秀介、それに伊坂幸太郎に村上春樹、だけである。

 以前ココで『ゴールデンスランバー』や『ラブリーボーン』の時に散々書いたので詳細は端折るが、基本、読んだ原作本の映像化作品やその逆を出来るだけ避けている僕は、数多く映像化された東野圭吾作品のその殆どを観ていない。なので実はこの『麒麟の翼』もやはり観ていないし、これから観るつもりもないのだけど。

 警視庁日本橋署の刑事である加賀恭一郎シリーズ第9作目であり、シリーズ最高傑作とうたわれる同名小説の早速の映画化である。まず、個人的にはこの“シリーズ最高傑作”というのには異論があり、どうかと思うのだ(東野圭吾本人もそう言っているのでそこに異論の余地は無いのだけど・・・・)。別に偉そうにダメ出しをしているのではなく、むしろその逆。まだ未読の人に「コレを最高傑作というならば他の作品はコレ以下である」と安易に思われたくないというか。感想なんて千差万別なのは前提として、因みに僕が1番好きな作品は加賀が練馬署時代最後の事件となった『赤い指』であり、それを差し引いたとしてもやっぱり『麒麟~』が最高傑作だとは思わないのも事実である。

 しかしながら『赤い指』と直結する“親子の絆”というテーマは早くに親父を亡くしている僕に取ってはやはり涙腺を刺激される物語であり、ラストの「何故もっと親父と話し合わなかったのだろう?」という一文は「映画化でも受け継がれていればいいのに・・・・」と思ってしまう深い落としどころではあった。

 胸をナイフで刺されたまま日本橋上まで歩き辿り息絶えた男。そしてその容疑者は警官から逃げる途中でトラックに惹かれ瀕死の重体に・・・・。被害者と容疑者の関係、動機、更にはその足取りまでも明確になりながら、ちょっとした“納得のいかない”部分から波状していく謎。その1つの謎の解明から引き起こされる大どんでん返し。正に、加賀恭一郎の、東野圭吾の王道と云える展開である。

 観ていない映画化に対して1つだけ言わせて貰えるのならば、ある意味物語の主人公にも関わらず冒頭で死んでしまう青柳武明を演じた中井貴一。最大の謎を託された重要人物なのに、中井貴一が演じている時点でもう「彼は絶対に悪いヤツじゃないだろう」という先入観が発生してしまうではないか!コレは僕ら観客から「ホントはどうなんだ?」という数ある謎の内の1つを最初から取り上げられているような気がして残念であった。

 しかし、それにしてもこの加賀恭一郎シリーズの最大の魅力というのは、王道の探偵・推理モノであるにも関わらず主人公の加賀刑事が探偵役に廻っていない、ということに尽きるのではないだろうか(「いや、モロに探偵役でしょ?」という異論もあるかもしれないが、少なくても僕はそうは思わない)。時に物語はその冒頭から誰が犯人であるかを読者には知らされつつも、加賀はいつだってただ犯人を当てるのではなく、何故そんな事件が起きてしまったのか?を追求し、犯人にその愚かな過ちを理解させ気付かせようとする。これこそが加賀シリーズの魅力だと思うのだ。そういった意味ではこの『麒麟の翼』はシリーズ最高・・・・いや『赤い指』に次ぐ傑作だろう。原作をまだ読まずして映画を観れる人が羨ましくてしょうがない。だとすればこの映画はとんでもなく面白いだろうから・・・・あぁ、読まなければ良かった・・・・。

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