ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

 もう11年も前になるのか・・・・あの日の事は今でもよく覚えている。僕の一人暮らしの部屋に彼女(現・嫁)が泊まりにきていて何か夕食を作ってくれている間、やっぱりこうやって締切間近のCROWDの映画コラムを書いていたのだった。ふと気が付くと、何気に付けっ放しだったテレビのチャンネルが全て、煙を吹くワールドトレードセンターの映像一色になっていて。それでも僕は原稿を書き続け・・・・で、一際興奮状態の只ならぬ雰囲気にまたテレビ画面に目を戻すと、ちょうど2機目の飛行機が突っ込んで行く、正にその瞬間のシーンであった。それが“アメリカがテロに攻撃されている”と知ったのは(実感したのは)もっとずっと後のことだったように思う。

 あまりにもその映像が“映画的”過ぎて、むしろ、観慣れた映画よりももっと映画的過ぎて、不謹慎ながらも「おぉ!凄ぇ!!!何してんだ?コレ?!」と興奮したのを今でも忘れない。それまで何かの事故だと思っていただけに、何故に2機も同じ過ちを犯すのだ?とワケが分からなかったのだ。そして、その日を境に世界は変わってしまった。

 とにかく辛く泣ける映画である。でも単純に“泣ける映画”だと宣伝するにはあまりにも理不尽だとも、思う。

 この映画は、大好きな父親をあの日に亡くしてしまった少年の物語。毎週土・日に父親が残した“謎解き”の答えを探す旅に出るオスカー。とは言っても、彼は「外に出ればお父さんに近づける気がして心が軽くなった。でもその逆に心が重たくもなった。だって(家に居る)お母さんから離れてもいくから」というくらいの、まだ10歳にも満たない男の子だ。お父さんが最期に残した“留守電”を部屋でこっそり聞きながら涙する日々。「お父さんを乗り越える為に冒険に出たのに、どんどん恋しくなってしまう」。少し臆病な息子に度胸と勇気を付けさせようと試行錯誤する生前の父。それに応えようと「がっかりしないでね」と頑張る息子。でも一生懸命頑張ったことを1番に褒めて欲しいお父さんはもういない。行き場を失った笑顔。涙の行方。行き先のない怒り。どうして父親が死んだのか、いくら考えても分からない。理解できない。そして、何故あの日に一緒に家に居なかったのか?と母親を責め「お母さんだったら良かったのに」という決して本心では無い鋭い刃物のような言葉・・・・

 少年の冒険を描きながら、当日の出来事がフラッシュバックで交互に描かれるのだが、もう辛くて悲しくて泣けて泣けて仕方がない。この映画は、愛する家族を理不尽な失い方をした“残された者”の喪失と再生の物語だと簡単に言ってしまうにはあまりにも重たい。そういった場合の現実の心境とは映画のように分かり易く描けるものではないし、2時間強の時間を持ってしてハッピーエンドに着地できるものでもないから。ただただ辛く哀しく泣けるだけ。そこに希望の光を見い出せるかどうかは、結局各々の心の問題なのだ。この映画は、父親を失った子供の目線からも、更には子供を失った親の目線からも描かれているのだから、僕にはどうにも逃げ場がない。

 敢えて言う迄もないけれど、僕らにとっては去年の東北沖地震のそれと重なるから、だからただ“泣ける映画”としては観れないワケで。

 決して手抜きではなく(いつもの僕の長過ぎるくらいの過去の原稿を読んで貰えれば分かると思うのだけど・・・・)今回はどうしても書けないのです。相変わらず文字数は沢山書くのだけど、やっぱり“削除”の繰り返しで。

 アメリカでも東北でもない、ココ鹿児島でに住んでいる同士には分かって貰えるのではないでしょうか?心から本心なのに、何を書いてもやっぱり“当事者”ではない客観的な、下手すれば偽善的とも云えるコラムになるような気がしてしまうことを。

 老若男女、誰にも必ず明日が保証されているワケではない。ということを実感させられた今、僕らは何を思って生きるのか?・・・・それは人それぞれで、僕には偉そうなことは何も言えませんが、少なくても僕自身は愛する家族に「お前たちが何より大事で大好きだよ」とちゃんと伝えて生きる事にしました(笑)。

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