マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

 もう随分と前の話。イギリスに行く前・行っている間「もしも憧れのロックミュージシャンに実際に会えたならばどうしよう?」と不安でしょうがなかったのを覚えている。何かのきっかけで実際に話なんかできてしまったらどうしよう?!と。「お前、失業保険も貰ったことないのにロックバンドやってんのか?!」とマジギレされる気がして怖かったのだ。ロックといえば“失業”、そして“失業保険”である。僕の好きなロックミュージシャンはみんな「売れる前は失業保険で食いつないでいた」とか「毎晩ギグやクラブに通って安酒飲んでたぜ。なにせ失業中で暇だったからな」とか言って、労働者階級のロックを力強く鳴らしていたのだから。

 「ROCKってのはそんなもんだ」という話ではなく、僕の世代のロックがそうだった、という話なのだけど。だって、それより前の60年代迄のロックといえば労働者階級にも平日は忙しく仕事があり、週末にそのストレスを発散するって感じだったのではないだろうか?(大好きな映画『さらば青春の光』を見る限り・・・・)第二次世界大戦後、マンチェスターやリヴァプール、それにグラスゴーやブリストルといったロックの聖地でもある“労働者階級”の町を政府が国営化し、国民全員に仕事を行き渡らせるようにしたのだが(当時はロールスロイスですら国営企業であったほど)70年代に入りオイルショックの国際的不況をモロに受けたイギリスは、それを脱する為に工場の機械化を図り第三次産業にシフト。それまで重宝されていた体力自慢で骨太な労働者たちが途端に“要らない人”になったワケである。

 更に!そんな状況下で登場したのが“ロックの天敵”マーガレット・サッチャーだ。それまで国営で面倒をみていた企業を、国の経費節減の為にバッサバサ切り捨て民営化を進めたのだから。彼女が活躍した時代には平均20~30%、職種によっては50%近くのリストラがあったというのだから驚く。さて、それでも何故、マンチェスターの労働者たちはロックを鳴らし続ける事ができたのか?それが失業保険という“交換条件”だったのだ。当時の失業保険は(年齢によっても違うが)日本円にして大体、月に4万円くらいだったそう。それでは生活はできないでしょ?!と思うのだけど、それが週に16時間以下のバイトなら可能で、更に親と同居であれば無条件でプラス4万円・・・・仮に親と同居でなくとも家賃は住宅手当で全額カバーされる上に結婚し子供なんかいれば貰えるお金はぐんと増える。子供のミルク代や医療費もタダだしクリスマスボーナスまで!これなら、あくせく働かなくともバイトをしながら“失業保険”を貰っていた方が実はまともに働くより楽で高収入ってなワケ・・・・かもしれなかったのだ。そんなロック社会にムチを打ったのが例のサッチャー首相だったのである。「働かざる者食うべからず」と言うより「働かない者、マジ食うな!」という給付制限と「って言うか働いた方が絶対良いよ!」という、金持ち優遇政策の促進によって、労働者階級の世界はいよいよロックになり「Fuck!Thatcher!!!」となったのではないだろうか。

 ま、この『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』は、そんな映画ではない。のだけど、学生時代に“歴史”が大の苦手なロック少年だった僕は、鈴木あかねの『現代ロックの基礎知識』という本でイギリス文化・歴史を学んだほどなので、こういった偏った書き方しか出来ないのは仕方が無い・・・・。

 マーガレット・ヒルダ・サッチャー、知れば知る程、実に凄い人物である。59年に下院議員に初当選を果たして70年からヒース内閣で教育科学相を務める。が、教育予算削減に迫られて“給食の牛乳無償配給廃止”を決定し抗議の標的とされるも、75年にはそのエドワード・ヒースを破り保守党党首に就任。同年、フィンランドのヘルシンキでヨーロッパ33ヵ国、それにアメリカ、カナダを含む計35ヵ国が参加して行われた“全欧安全保障協力会議”に於いて採択された“ヘルシンキ宣言”を批判し、ソビエトの軍事新聞から“鉄の女”と非難された経歴を持つ(奇しくもサッチャー本人がこの“鉄の女”というネーミングを気に入り以降定着してしまうのだが)。この映画は、そんなイギリス史上初の首相(79年~90年)となったマーガレット・サッチャーの自伝映画だ。79年までに8%から15%まで消費税の引き上げを成功させ、それまでの財政赤字からイギリス経済を立て直し、82年のフォークランド紛争を経て「我々は決して後戻りはしないのです!」という文句で2度目の勝利を果たす。が、収入の上下に関係無く全ての国民1人1人につき一定額の税金を課す“人頭税”の導入を推し進め国民から強い反発を受け、同年11月に英国首相、そして保守党党首を辞職。その後、労働党のトニー・ブレアがサッチャーの保守党から政権を奪うと、医療や教育などの立て直しがはかられ、それまでの“サッチャリズム”の除去が国の重要課題だと、途端に“悪の女王”に祭り上げられてしまうのだが。

 さて、そんな彼女も一家の一主婦でもある。・・・・と、書いた時点でなんだか男尊女卑の感じもして微妙なのだが。例えばそれが男性であった場合に「そうは言っても彼だって愛する嫁も子供いる一家の主である」と書いたところで「それは普通でしょ?」と捕られないだろうか?これだけ男女平等の社会になってですらマーガレット・サッチャーの主婦・母親像ってのは現実離れした風に思えるのは僕だけだろうか。この映画には、首相であるその裏に彼女の“嫁・母親”像ってのが描かれているのが最大の肝であると思うのだ。夫・デニス・サッチャーは彼女の最大の助言者だったにも関わらず、公には一切登場せず“賢い嫁に対し愚かな夫”という図式を演じていたという。

 最愛の夫デニスが既に亡くなっている事も、更には首相時代の記憶すら思い出せない程、今では認知症に苛まれているマーガレット・サッチャー。世界を変えた英国初の女性首相の半生をバックボーンに、母親である1人の女性の生き様を描いた、ある意味何処にでもあるような人間ドラマのような気すらする。だからこそこれだけ共感し胸を打たれるのだろう。

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