ファミリーツリー

 ちょうど今(5月末現在)発売中のドリームジャンボ宝くじ、なんでも1等1億が史上最多の175本で当選確率がこれまでより圧倒的に高いのだとか?僕は昔から“賭け事”に弱く、ジャンケンですら大体勝ったためしがない。前に「ココッ!」っていう1番で、自身の経験を逆手に取り「負けたヤツの“勝ち”ってことにしようぜ!」という提案をした際には速攻で一人勝ちし一番抜けしたこともあるくらい。昔はパチンコやスロットに行ったりしたこともあったけど勝つことがないのでイマイチ面白さが分からない“おかげで”ハマることはなく、普段はそういったギャンブル事全般に全く興味がないのだけど、実は、宝くじだけはサマージャンボと年末ジャンボの年2回は毎年必ず買っている(ま、言っても10枚とか多くても30枚とかだし、そもそも宝くじを“ギャンブル”と呼ぶのかどうかは分からないけど)。コレは生前の親父が恒例にしていて、結局何一つ当たらぬまま死んでしまった親父の跡を引き継ごうと始めた習慣のようなものだ。確率だけの話をすれば、例えば家を出て宝くじを買いに行く途中で交通事故で死んでしまう方が1等を当てるより約500倍も高い(ましてや宝くじを買った日に家族の誰かが交通事故で・・・・となればその確率は飛躍的に上がるだろう)にも関わらず「今日、家族が交通事故に遇う」なんて微塵も思わないくせに、宝くじには「当たるかも?!」なんて浮かれてしまうのはなんとも身勝手で都合の良い発想なのだろうな。でも、そういうものだろう。大袈裟に言えば、だから人は前向きに生きていけるのだ、とも思う。

 愛する妻が事故で昏睡状態になり、突然の妻無しでの生活に2人の娘と向き合わなければいけなくなる。しかし、それまでずっと娘たちは妻に任せきりだったので10歳の次女と手を繋ぐのも7年ぶりだったりで、どう接していいのかも分からない。妻の有難さ・大切さを痛感したマットは「妻が回復したら2人で旅行に行こう、新婚生活をやり直すんだ」と思いを馳せるも、彼女はこのまま意識が戻る見込みは無いと医者から通告され・・・・更にはそんな絶望の中、17歳の長女から「お父さんは何も知らないんだ。お母さんはずっと不倫してたんだよ」と告白される。物語的には普通のドラマのようでいて、確率的には「(全ての要素に於いて)それはなかなか無いだろ?!」という設定ではないだろうか。個人的には今年のアカデミー賞の大本命であった『ファミリー・ツリー』は、そんなアレクサンダー・ペイン節全開の物語である。02年の『アバウト・シュミット』それに04年の『サイドウェイ』に続く“ダメ男物語3部作”とも云える大傑作。ジャック・ニコルソン、ポール・ジアマッティに引き続き、今回のダメ男はジョージ・クルーニー!色褪せたアロハをめっちゃズボンにインし腰の高い位置で履いたり、よれよれのポロシャツを着て泣きっ面で走る“最高にダサい”ジョージ・クルーニー。娘からそれを告白された時の「・・・・一体、何言ってんの?」という放心状態、親友に「誰か教えてくれ・・・・その・・・妻の浮気相手を」と頼む姿、そして浮気相手の元に乗り込む際、娘から「ぶん殴ってやる?それとも話し合う?」と訊かれ「・・・・どんなヤツか顔が見れればいい」と生け垣に隠れながら家を覗く姿・・・・こんなにダサいハリウッド・スターは本当に珍しいと思うのだけど、一方で「ジョージ・クルーニー最高の演技!最高傑作!」なんて謳われているからまた凄いのである。物語は、妻が自分と別れる覚悟で不倫相手と本気で付合っていたと知り、妻が昏睡状態であることをその不倫相手に伝えるべきではないか?という全く持って不細工で人の良い展開になっていくのだが、それがまた人間味があって温かいのだな。

 カウイ・ハート・ヘミングスの原作ではあるのだけど、物語自体は、まるで重松清の本のような・・・・もっと言えば、長編『流星ワゴン』よりも『ビタミンF』の短編集に収録されているような“ささやかな家族の悲劇”を描いたものである。家族とは何なのか?“血は繋がっていないけど、一緒に暮らすことで家族になれた”『マルモのおきて』と同様の理屈でありながら、その真逆の“血が繋がっているのに、心通わすことなく一緒に暮らしていなかった”から家族ではなくなってしまった親子の物語。そして、その“家族”にとって最大の悲劇をきっかけに本当の家族になれる、という。ま、この一家が本当の家族になれたかどうか?はこの映画では正確には描かれていないのだが。っていうか、それでもジョージ・クルーニー演じる父親は何一つカッコ良いことは出来ないし、娘らにとっては始終カッコ悪いままなのだけど、ラストのカウチに3人で座ってアイスを食べるシーン・・・・この何気ないシーンで「本当の家族になれたのだ」と確信させるアレクサンダー・ペインの演出力は流石である。それと、終盤の「意外な人からの病院へのお見舞い」・・・・コレこそが物語の核であり全てなのだな(コレについてはもっと語りたいのだけど未見の方にはネタばれになるので多くは語れないのだが)。

 『HOME 愛しの座敷わらし』で、水谷豊が「家族がこうやってみんなで生活できるのは、きっともうそんなに長くはないと思うんだ。だからお父さんは今のこの時間を大切にしたいんだよ」という台詞を思い出す。僕自身、小学3年生の長男がいつまで「一緒にお風呂に入って体洗って!」とウザいことを言ってくるのか?「戦いごっこしよう!」とか「かくれんぼしよう!」とかまとわりついてくるのか?そう考えると、長くてもせいぜいあと2〜3年なんだろうな、と思うから。子供が“子供”でいてくれる時間ってのは本当に短いのだと思う。だからこそいつだって“今の子供たち”が愛おしくてたまらないのだ。そのうち本当の意味での“戦い”をしたり“かくれんぼ”をしたりするのかな?と自嘲的に失笑しつつも、この『ファミリー・ツリー』のようにいつの日か“ちょっと大人になったこいつら(子供たち)”と互角に話し合ったりする日がくるのだろうなとも思う。楽しみだ。

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