ジャパン・イン・ア・デイ

 リドリー&トニーのスコット兄弟(弟トニーはつい先日、橋から飛び降り自殺をし惜しくも亡くなってしまったが・・・・)が運営するプロダクション「スコット・フリー」がYou Tubeと共同製作した『LIFE IN A DAY』(10年)。「あなたの1日を動画で送って下さい」という巨匠リドリー・スコットの呼掛けに対し集まった動画は世界192ヵ国から約8万本、時間にしてなんと4500時間分!その膨大な映像を1時間半に編集し1本の映画にしたのが『LIFE IN A DAY』である。どうだろう?コレはきっと世界初の「ソーシャル・ネットワーク・ムービー」だったのではないだろうか?もしもまだ未観の方はYou Tubeでフルバージョンが(勿論無料で)観れるので是非とも!(色んな言語が出てくるので“日本語字幕版”を観ることをオススメしたい)世界中の色んな人が自身の携帯等で撮った“何気ない一コマ”を編集したものなので画像が粗かったり構図がワケ分からなかったり・・・・ってのは否めないとしても、他人のプライベートを覗き見するようなスリル感と絶対に狙っては撮れないような奇跡的映像に1秒足りとも飽きさせない大傑作!・・・・だったと思う。

 外は雷雨の中、車内での映像か?何やら思い詰めたような女の子が涙ぐみながら「きっと何か特別なことが起こるんじゃないか?と期待して24時間ずっとビデオを回してましたがもうすぐ0時、日が変わります・・・・結局何も特別なことは起こりませんでした。でも、私っていう人間がココに存在しているってことを知って欲しいのです」という切実なメッセージで終わる前作『LIFE IN A DAY』。本人にとっては“何かを期待しつつも結局何も得られなかった1日”だったかもしれないけど、客観的に観ればこの雷雨の中でその映像と共に訴えられる“誰もが抱えているであろう絶望感”を奇跡的なタイミングで捕らえた1コマ。このラストこそがある意味『LIFE IN~』の1番伝えたいメッセージだったのではないだろうか?「特別じゃない日なんて1日もない」その日を生きた人々の姿であり今を生きる私たちの姿、という。

 それの続編(というか姉妹作?)となるのがこの『ジャパン・イン・ア・デイ』だ。フジテレビ・早川敬之氏が「東北の震災からちょうど1年、12年3月11日の出来事をみんなに送って貰いそれを映画化しないか?」という企画をリドリー・スコットに持ち込み、フジテレビ&スコット・フリーの共同製作という形で実現した1本なのだそう。映画の流れは前作『LIFE IN A DAY』と全く同じで、日付が変わった真夜中から映像が始まり、やがて朝になって人々が目覚め朝食を食べたりしつつ1日が始まる。そして昼になって夕方になり、また夜がきて「おやすみなさい」・・・・という世界共通で誰にも平等に与えられたルールに沿って描かれる。それを、先述したように“素人”から送って貰った動画で繋いでいこうと、更には今回は舞台を日本に限定して震災から丁度1年後のその日の映像のみで繋いでいこう、という試みだ。

 敢えて言うまでもなく物語のテーマとなっているのは「震災」なのだけど、この映画は僕らがこれまでテレビ等で見聞きしてきたものとは明らかに、且つ“決定的”に一線を画している。何がか?と訊かれればそれはもう“全てに於いて”としか言い様がないのでとにかく観て貰うしかないのだけど・・・・敢えて言うならばそれらの映像が全て自分(もしくは身内)で撮ったものだという点だろうか。だから彼ら(彼女ら)は気負ってもいないし取り繕ってもいない。「映ってる?僕はココに座って喋ればいいかな?」と笑顔でカメラチェックをする男性。カメラを持つ親戚は「後ろにビールケースが映っちゃってるよ!」とふざけつつも「いいよ、じゃ、喋って!」で、男性が笑顔で「あれからちょうど1年が経ちました。僕のお父さん、お母さん、そして奥さんと娘です」と仏壇の遺影を紹介する。またある男性は新築の真新しい家の中を撮りながら「建てて半年後に震災が起きました。ココは地震や津波でどうかなったってことはないのですが(放射能の影響で)嫁と子供たちは今、仮設住宅で避難生活をしています。僕の夢はまたココで家族一緒に生活をすることです」と話す。そう、決して「訴える」という感じではなく「素で話す」という感じ。この親近感・リアル感に胸が圧し潰される思いがして涙が溢れるのだけど、なんて言うか・・・・哀しくて涙が溢れるのともまた違うのだな。例えるならば「痛くて」無意識に出てしまう涙に近いような気がする。かといってこの映画は決して、あれから1年後、未だ続く震災の悲劇を描こうとしたものでもなければ“反原発”を訴えたものでもない。こう言うと異論もあるかもしれないが僕には“敢えてメッセージ性を排除した”映画にも思えた。『LIFE IN~』でも登場した父子家庭の親子が今回もまた登場するのだけど、それが“初めて2人で自転車で遠出した”という震災とは全く無関係な画だったりもして。あくまでも「あれからちょうど1年後の1日」というスタンスで、決して震災に偏ることなく・・・・でも、やっぱり日本人にとってあの震災はもはや誰にも切り離すことは出来ませんよね?という。

 一生懸命に救出活動をしていた男性が「気が付くと1人の幼い少女を踏みつけながら作業をしていた」という衝撃的な告白。「救いたいと願っていても救えなかった1人の幼い少女がいたことを知って欲しいのです」と号泣しながら話す彼を僕はきっと一生忘れることが出来ないと思う。この日は“2万人の人が1度に犠牲になった震災”というよりは“尊い命が失われた悲劇が1度に2万件も起こった”のだ、ということを再認識させられる。じゃあ、僕らに何が出来る?となると具体的・実質的には「募金」や「人的支援」とかなのだろうけど、全ての我々日本人が永続的にやらなければいけないのは「知ること」そしてそれを「忘れないこと」なのではないだろうか、と思った。そう思わせてくれた1本だった。

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