華麗なるギャツビー

 ちょうど公開中の『アフター・アース』。ウィル・スミスとその息子ジェイデン・スミスの共演!ってのがこの映画の“宣伝文句”なのだけど、実は監督がマイケル・ナイト・シャマランなのだな。ついこのあいだそれを知って「お!マジかよ!」と期待感と同時にとても残念にも思った。個人的に“絶対に見逃したくない”大好きな監督だったにも関わらず、ファンである僕でさえ知らなかったくらいだったから。世間同様、僕もやっぱり99年の『シックス・センス』で完全にヤラれ、続く『アンブレイカブル』(00年)『サイン』(02年)『ヴィレッジ』(04年)までは内心「あれぇ~・・・・?」と思いつつも「ま、期待してた“どんでん返し”はなかったけど、シャマラン、やっぱ面白いよな・・・・」と自分自身を納得させていたのだけど、『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06年)に『ハプニング』(08年)で「う~ん・・・・」となり、終いには『エアベンダー』(10年)までいってしまうと、やっぱもう誰も「M・ナイト・シャマラン最新作」とは謳ってくれなくなるだろう。それは仕方がない。でもやっぱり“好きな監督”の一人ではあるので観に行ってしまうのだ。それに引き換え、この『華麗なるギャツビー』はどうだ?!ディカプリオ版ギャツビー!おぉ!!!でも監督がバズ・ラーマン?!う~ん・・・・行く気が失せる。『ロミオ&ジュリエット』(96年)も『ムーラン・ルージュ』(01年)も『オーストラリア』(08年)も結局彼の作品は全部観ているのだけど・・・・にも関わらず何故だろう?この監督、苦手なんだなぁ・・・・。

 ニックが住む家の隣に建つお城のよう(っていうかお城そのもの!)な大邸宅では、毎週末、数百人の人々が集まり盛大なパーティーが繰り広げられている。家主であるパーティーの主催者はジェイ・ギャツビー。ある日、ニックにギャツビーからパーティーへの招待状が届き屋敷を訪問するも、実は他の参加者は誰も招待状など貰ってなく勝手に来ていることが判明。ってことは、正式に招かれたのは唯一自分だけなのか?ギャツビーに一言挨拶をしようと彼を探すがパーティーの参加者は誰も主催者ギャツビーを見たことがないという・・・・どころか、実は“ギャツビーは存在しない”という噂まで。じゃ、何故に毎週この盛大なパーティーは開かれているのか?一体何のために?誰のために?・・・・その切なく哀しすぎる理由といったら!女性にとっては単に“ロマンチック”で片付くかもしれないけど、コレは男にとっては・・・・もう、どう言葉を尽くしても“解説”なんてできないだろう。とは言っても、まぁココまではおおよそ理解できて予想できる範疇かもしれない。がっ!この物語がずっと心に残ってしまう理由、ずっと語り継がれている理由ってのはこっから始まるのだな。出来れば内容を知らずに観た方がメチャクチャ面白いと思うので予備知識無しで観に行くことをオススメしたい、のでこっからは敢えて書かないことにするが。

 とは言っても、フランシス・スコット・フィッツジェラルドが1925年に書いた(出版された)原作「グレート・ギャツビー」はあまりにも有名で、アメリカ文学を代表する1作とも云われているほどなので例え読んだことはなくともその粗筋くらいは知っているって人も多いだろうから“全く予備知識無しで”観にいくことの方が困難かもしれないけど。残念ながら僕には原作を読む言語力も読解力もないので村上春樹が翻訳したものしか読んだことはないのだけど、途中まで“何となく”読み飛ばしたもんだから読後に「コレは面白い!」とすぐにもう1度最初から読み直したのを覚えている。当時は「コレを映画化するなら絶対にベン・アフレック(ギャツビー)とマット・デイモン(ニック)だな」と勝手に「画」を想像しながら本を読んだのだけど、なるほど、ディカプリオか!確かに今ギャツビーをやるにはこの人しか考えられないだろう。そしてニックにトビー・マグワイア!完璧!

 原作での舞台は、第一次世界大戦直後、急成長を遂げ世界経済の中心へと繁栄していく1920年代のアメリカなので、その時代背景を考えると今どき“貧富の差のある恋愛”だとか、バブル全盛期のような“毎夜バカ騒ぎ”だとか・・・・2013年の現代でのリメイクってのはどうなのだろうか?観客が共感できる部分があるのか?と、最初はこの映画のことをなんだかとても的外れな1本だと思ってしまったのだけど、バズ・ラーマン監督曰く「裕福な者たちの無責任なライフスタイルを批判するテーマなので今、正にタイムリーなリメイクになる」とのこと。なるほど。先述したように何故だか僕はこの監督が苦手なのだけど、原作を軽く超えるバカバカしいまでに綺羅びやかでゴージャスなパーティー・シーンは流石バズ・ラーマン!としか言い様がない。ココまで振り切った描写・演出はもうこの監督にしかできないだろうから。これまで一体何本の『華麗なる~』の映画化作品が存在するのか正確には知らないけれど、本作は間違いなく74年のロバート・レッドフォードとミア・ファローの「フランシス・フォード・コッポラ版(実際にはコッポラは脚本を担当してて監督はジャック・クレイトン)を超えて過去最高傑作となるだろう。ただ、3Dである必要性は全く感じなかったが・・・・。

一番上にもどる      ホームヘもどる