スター・トレック イントゥ・ダークネス

 映像作・小説問わず“古典SF”と云えば、僕はまず筒井康隆の『時をかける少女』を思い出す・・・・いや、まぁ自分でも「もうちょっと今ココに相応しいのがあるだろう?」とも思うのだけど、真っ先にコレを思い浮かべてしまうのだから仕方ない。例えば、年代の古さだけで云えばH・G・ウェルズこそ一般的には“SF古典”の代名詞ともいえる存在かもしれないけど(何と言っても1890年代には『タイムマシン』や『宇宙戦争』といった、後に映画化されるような大傑作を数多く書いていたのだから)しかし、映画界に於いて“SF”の黎明期でもある1960年代前後のそれがやっぱり僕的には大好きなのだ。アーサー・C・クラーク&スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(68年)とか『ブレードランナー』(82年)の原作であるフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」(同68年)なんかも古典SFの金字塔であることには違いないだろうけど『時をかける~』は更にその前の65年の小説であること、そしてそれに加えこれまでに約10本もの映像化作(もしかしたらもっとあるかもしれない)プラス数々の漫画化までされているのだから凄くないだろうか?中でも83年の大林宣彦監督×原田知世バージョンと06年の細田守のアニメ版がとりわけ有名だと思うけど、1970年代から2010年代まで各年代ごとに1~2度の映像化がコンスタントにされているのだ。その要因として、たった100頁あまりの短編であるが故に物語を端折る必要もなく・・・・どころかむしろ肉付けの余地もあり映像化し易いってのもあるのだろうけど、やはりこの物語(放課後の理科室で妙な匂いを嗅いでから自由に時間と場所を行き来できるようになった少女“芳山和子”と、未来からやってきた少年“ケン・ソゴル”との淡い恋と永遠の別れ)に、何時の時代の読者・観客に対しても正に“時を超えて”訴えかける普遍的な力があるからこそだろう。

 66年の放送開始以来、全27シーズン 701話!(更にアニメシリーズも1本ある)ものTVシリーズが作られている「スター・トレック」も見事な“古典SF”というジャンルに入るのだろう。しかも今日に至るまでずっと何らかの形で続いている上、今回の『イントゥ・ダークネス』は実に12本目の映画化作だというのだから凄い!が、コレだけ歴史のあるシリーズであるにも関わらず不思議なくらいココ日本では馴染みが薄いような気がしているのは果たして僕だけだろうか?勿論日本でもテレビ放映されていたし、僕らが小学生の頃なんかは前髪パッツンもしくは耳のとがったヤツ(稀にその両方を兼ね備えているヤツも!)のアダ名は決まって“スポック”だった。きっとどこの学校にも1人は“スポック”というアダ名の付いたヤツがいたんじゃないだろうか?(ま、それも72年生まれの僕ら世代がギリギリなんじゃないかと思うけど)にも関わらず、周りに「スター・トレック」ファンだという人、それを語れる人ってのがあまりにも居ないような気がする。少なくとも僕はTVで「スター・トレック」を観た記憶は無いし小学生だか中学生だかの時に1本だけ劇場で観たのは覚えているけど、なんか“クジラ”が出てくる全然面白くないしょーもない映画でタイトルすら覚えていないほど。結論として、僕にとって「スター・トレック」というのは興味の対象には無いものであり劇場版も今まで観ようとすら思わなかったのだけど。なのだけどしかし、09年の前作『スター・トレック』はJ・J・エイブラムスが監督するってんで「じゃ、観てみよう」と。そしてそれがやたらめったら面白い大傑作であったのは言うまでもなく。流石はエイブラムス!今や僕はすっかり「スター・トレック」ファンになってしまったワケで・・・・。

 前作に引き続きこの『イントゥ・ダークネス』も監督は勿論J・J・エイブラムス!そしてやっぱりとにかく面白い!冒頭の、色彩からして見るからに地球ではない“何処か”を舞台にしたいきなりのクライマックス・シーン!映画が始まって最初のわずか5分足らずですっかり物語に魅了され放心状態に・・・・彼の“お決まりのパターン”とも言えるエイブラムス節全開である。前作ではエンタープライズ号の“キャプテン”として認められるまでのカークの成長が描かれていたが、本作では更に突っ込んで“キャプテン”としての責任と資質、そしてその役割とは?が描かれる。多くのクルーを乗せた船のキャプテンとして問われる咄嗟の判断力と決断力。自分以外の誰かに任せる勇気と覚悟。責任感があるからこそ、それぞれの立場で確固たる意見を持つ仲間たちをどう説得するか?対立する仲間たちをどうまとめるか?作戦がもし失敗した時のリスク管理は?・・・・まるで青年会議所とかで学ぶような“組織の創り方”的物語!(笑)宇宙船を舞台にしながらも、何処にでもあるような会社・企業等の組織に於ける“人間関係”がそのままそこにあるってのがポイントで、それによって僕らは登場人物に対しぐっと親近感が増すのだ。『踊る大捜査線』の青島と室井のようなカークと初代船長パイクの関係や、すぐに感情的になり本能で行動してしまう船長カークに対し、いつも冷静沈着ルール優先で常に計算とデータを元にサポートする副長スポックの関係、などなど・・・・とにかく泣けて泣けて仕方ない極上の物語である。とりわけ、カークの判断ミスによって仲間全員の命が危険にさらされるシーンは圧巻!絶体絶命の危機にさらされながらもさほどの動揺もないクルーたち。「そんなこと初めから覚悟して付いてきました」感にうるうるし、「みんな脱出しろ、船長命令だ」に対しても「お言葉ですが、私も自分の責任ある仕事があるので残ります」に僕はもうこらえ切れず号泣であった。そうそう、あと個人的に意外だったのがカークとスポックが登場するのは「The Original Series(通称TOS)」と呼ばれる初期の『宇宙大戦争』のみで、66年~69年の3年間、エピソードにしてたった3シーズン79話しかないのだそう。個人的に「スター・トレック」と言えばこの2人だと思っていただけに(先に書いたように)全体の長さからみるとほんのわずかしか登場していないことに驚きである。(加えて、今回の『イントゥ・ダークネス』には本物の(?)スポック役であったレナード・ニモイもチョイ役で登場するところがまたファン泣かせな演出!)

 観客に同情の余地を与えないため「悪」は徹底して「悪」として描かれるってのがアメコミもの・ハリウッドものの鉄則だったのも、もう一昔前の話。はっきりした白黒(善悪)だけではそれぞれの立場を描くことが困難な世の中になった今、「悪」にもそれなりの事情があって・・・・ってのは最近のアメコミものの王道だけれど、本作ではそこを更に掘り下げ描き切った各人物像が凄い!絶対的な「悪」として描かれるジョン・ハリソン(カーン)ですら同情どころか応援したくなるようなキャラなのだから・・・・そう言えば、そもそもエイブラムスって監督は(TVドラマ『LOST』に代表されるように)こういった各々の“人物像”ってのを大事に描ききる監督なのだな。時に、台詞の無い脇役のキャラですら「この人の物語も見てみたい」と思わせるような。09年の前作『スター・トレック』の監督にエイブラムスが大抜擢された際「『スター・トレック』は観たことないし興味はなかった。僕は『スター・ウォーズ』派だったんで」と言って世界中のスタトレ・ファンから大ブーイングをかっていたが、僕はむしろそれが良かったんじゃないかと思っている。だからこそ彼は、良くも悪くもある「スタトレ」の伝統やルールに囚われること無く“今のスター・トレック”へとリブートさせることに大成功したんじゃないだろうか。「スター・トレック」に続き、いよいよ15年からスタートする「スター・ウォーズ」の新シリーズも手掛けることが決まったエイブラムス。ジョージ・ルーカスが当初予定していながら中止となってしまった残りの3エピソードが描かれるのか?それとも全く新しい物語が始まるのか?は分からないけれど、何にしろコレは物凄い快挙であることに間違いない。「スタトレ」と「SW」は正に水と油のような存在であり、それぞれの“派”やファンの対立があったのが今までの“SFファン”の掟だったのだから。その両作を手掛けてしまうとは・・・・ルール違反にもほどがある。後世に語り継がれる“伝説”となるであろうエイブラムスの歴史はまだまだ続くのだ。

一番上にもどる      ホームヘもどる