そして父になる

 とにかく泣ける映画だった。『誰も知らない』(04年)や『奇跡』(11年)の是枝裕和監督の最新作『そして父になる』。本作のように、一般的な“お涙頂戴”映画とは一線を画す“本当に泣ける”映画ってのはそうそうあるもんじゃない。子供が6歳になった時、産婦人科から「子供が取り違えられてました」と告白され、“血”を選ぶか?6年間育ててきた“愛情”を選ぶか?っていう。正直、邦画はあまり観ないのだけど、それでも自称「映画好き」を豪語し小学生の頃から映画にハマってきた僕にとっても、間違いなく邦画1位!総合でもトップ5に入るであろう1本。で、日本映画史上の歴史に於いてもその名を刻む名作だと思うので、是非とも劇場で観て欲しい。

 僕も、本作で描かれているちょうど6歳の時に両親が離婚し暫く祖父母の家で育てられた時期があって、今、ひとつ屋根の下一緒に暮らしている母親は僕が小4(5?)かに再婚した人だ。なのだけど、僕にとってはこの“母親”は“母ちゃん”以外の何者でもなく、その“母”の両親にだって僕のことを“孫”だと育てて貰った。その母ちゃんが孫に当たる僕の子供に対し「まぁ、この子は豪(僕の名前)の小さい頃ににそっくりだね!」とよく言うので、その度「オレのこの頃知らねぇだろ?」と内心ボケたんじゃないかと心配になるのだけど、どうやらそれを本気で言ってそうなので驚く。ホントにボケたのか?それとも、もうそう思い込んでいるのか?祖父母も親父も死んだ今となっては、10歳くらいまでの僕を知っている身近な人はもういないので、この子(自分の子供)らが自分のその頃に似ているのか?どうかは知りようが無いのが哀しくはあるけれど、僕は幼少時代を通して「寂しい」と思ったことは一度足りともない。むしろ“愛情いっぱいの家族”に恵まれてきたと思っているくらいで。

 『誰も知らない』(04年)や『奇跡』(11年)を例に挙げるまでもなく、是枝裕和って人は本当に役者さんの“素”を引き出すのが巧い監督だと思う。特に子役。もう、演技なのか素なのか分からないくらいの“ギリギリ”が映画にとてつもないリアル感を出すのだな。04年のカンヌで史上最年少&日本人初の最優秀主演男優賞を受賞した『誰も知らない』の柳楽優弥だって是枝監督の仕業なのは間違いなく。そして今回“柳楽優弥”的なのが福山雅治!いやぁ~、カッコ良い!男から見ても惚れぼれするほど!本当にカッコ良い“大人の男”だと思う。それにも増して本作の彼は凄い!ファンにとっても間違いなく「こんな福山初めて見た!」と思うはず。いつもどっかで人を見下している大企業のエリートサラリーマンであり、子供を取り替えられてしまった“父親”という主演を演じるのが彼。そして、その嫁役が尾野真千子。何があっても旦那を立て、子育てを全て引き受けている温厚な主婦を演じているのだけど、旦那(福山)が子供に対して呟いた一言に対し「あれだけは私、一生忘れない」というシーンが凄い!一気に号泣!みたいな。そして(子供を取り替えられた)対する夫婦にリリー・フランキーと真木よう子。正直、僕は“真木よう子”って存在を本作で初めて知ったくらいなので、コレと言って書けないのだけど、とにかくこの“大人の女性(母親)”の魅力感ってのはハンパない。最高級だと思います。で、リリー・フランキー演じる父親は、なんか自分と被って親近感が湧いてみたり(笑)。

 尾野真千子が旦那(福山)に「何故、気付かなかった?と責めてるでしょ?」と詰め寄るシーンに、「いや、そんなワケない。誰でも気付かないでしょ?何言ってんの?」と一瞬思うのだけど、続く「産んだ母親のくせに、って」という言葉に「・・・・・・」となる。子供が産婦人科で取り違えられるなんて、そんなことあるのか?!って思うのだけど、こんな事件が昭和40年代まではよく起こっていた、というのだから驚きだ。それから足にマジックで名前を書くとかし始めたのだそうだけど、それまではよく起こっていた?!だとすれば、僕らの親世代くらいまでは、今もただ気付いていないけど親子が入れ替わっているっていう実例が沢山あるのかな?と思うと不思議な感じもする。もしかしたら僕こそがとある大企業の跡取りだったのかもしれない!とか(笑)。

 「子供と一緒にいる時間をもっと作って下さい。子供は一緒に過ごした“時間”が大事ですから・・・・」と言うリリー・フランキーに対し「仕事が忙しくて」と答える福山雅治。「仕事より家族でしょ?仕事は他の誰かができるけど、父親はあなたしかいない」「僕にしかできない仕事があるんです」と相手をコバカにしたような言い方に「父親の仕事だって、あなたにしかできないでしょ!」とリリーが一喝するシーンや「2人共うちに譲って下さい。まとまったお金なら何とかします」という福山に「何でも金で買えると思ってるのか?負けた経験の無いヤツは他人の気持ちが分からないんだな」と言うリリー・フランキー。じゃ、福山が悪役か?って言うとそんなことは全然無く、彼の言う「色んな家族の形があっていいと思うんです」が全てを総括する。そう、家族にはその家族だけの色んな形があっていい。阿部サダヲの『マルモのおきて』のように、血は繋がっていなくても一緒に生活することで家族になれる形だってあるし、逆に、ジョージ・クルーニーの『ファミリー・ツリー』(11年)みたく血は繋がっているのに一緒にいないから家族じゃくなってしまう形だってあるだろう。そんな福山が“そして父になる”物語。「もしもオレならばどっちだ?」が絶えず行き来する2時間・・・・人の“親”として、この映画を平然とやり過ごせる人なんていないだろう。きっと誰もが「コレは自分の物語だ」と感じる部分があるはず。本作は決して誰のことも責めたりはせず、淡々とその時その瞬間の気持ちを繋いで描かれている。重松清の物語がどれも同じなように、ウィラ・キャザーの名言「人生にはせいぜい2つか3つの物語しかない。でもそれは何度も繰り返される。しかもその度毎に初めて起こったかのような残酷さで」という言葉のように、古今東西普遍的な“人としての基本”の感情が露骨に描かれているのだ。僕は最近特に涙腺がゆるく、しょっちゅう映画を観て泣けてしまうんだけど、それにしてもこんなに泣けた映画は久しぶりだった。

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