愛しのフリーダ

 パーソンズやジュンスカなど、憧れのミュージシャンらと一緒に飲む機会もあり、ましてやジュンスカなんかメンバーのソロにも携わらせてもらっているので1対1でやり取りする場面もあるのだけど、やっぱり僕は元々彼らの大ファンなのでそんな時に浮かれてしまうのは否めなく(笑)。飲みの席の「ココだけの話」(「人にばらしたらマズい話」という意味ではなく、飲みの席では基本「ココだけの話」なワケなので)を「うわ!この話、facebookに書きてぇ~!」とか「この写真、ブログにUPしてぇ~!」とかのタブーな誘惑に襲われることも多々あり・・・・。それを思うと、「彼らにもプライベートは保障されるべき」と絶対にビートルズの話をしなかったというフリーダの凄さを改めて痛感する。しかも50年間も!彼女の子供たちですらビートルズの話を殆ど聞いたことがなく、更には「近所の住民や会社の同僚たちがこの映画を見たらビックリすると思う」というくらい周りの誰もフリーダがビートルズの秘書だったことを知らないのだそう・・・・。「彼女には何でも話せたし相談できた」という当時の関係者の言葉が深すぎて、思わず涙が出てしまった。

 17歳で世界一のバンド(が所属する会社社長)の秘書となり、以降11年間その役を務め、自身の青春を全て捧げたフリーダ・ケリー。本作はその彼女が語るビートルズの物語。ドキュメンタリー映画だ。ビートルズの活動期間がちょうど10年だったので、その期間よりも長く務めていたのだなぁ・・・・っていうか「ビートルズってたった10年間だったのか」と改めて感慨深い。ごく個人的に言うならば、そのたった10年間がrockの全てが詰まった“歴史”なのだ、と思う。ファンクラブの運営も兼任していた彼女が、自身の住所をファンレターの宛先にしてしまい父親から物凄く怒られたというエピソードが面白い。毎日2000通ほどのファンレターが家に届くのだから父親にしてみればたまったものじゃないだろう。その中に埋もれた電気代の請求書を探すのが一苦労だったという(笑)。自身が元々、ビートルズの大ファンだったからこそ「ファンの気持がよく分かる」ということでファンからの要望は出来るだけ叶えてあげた、というエピソードにも驚く。ファンレターには全て目を通し、返信が必要な手紙には全て返事を書いたという・・・・。中には、枕カバーが送ってきてリンゴ・スターに一晩寝てもらいそれにサインをして送り返して欲しい、というムチャクチャな要望にもちゃんと応えてあげたのだそうだ。フリーダ自身が「信じて貰ったか分からないけど」と笑っていたのが印象的だった。ビートルズが解散して職を辞めた後も、暫く届いたファンレターに3年かけて全て返事を書いたのだという。

 ビートルズの5枚組DVD「アンソロジー」、もう何度観ただろうか。例えば、家族が総出で嫁の実家とかに行っていて不在の休日とかに、いつもより早起きして朝からビール飲みながら(ステレオのヴォリュームを上げて)観る。年に1~2度あるかないかの、この一日が僕は人生で一番幸せなひとときだ(笑)。朝から晴れた日ならば尚更。『愛しのフリーダ』のDVDが出たらそれに代わるのは間違いない。

 僕が初めてビートルズを聴いたのは小学2~3年生の時だったと思う。今思うとジョン・レノンが亡くなった直後で話題になっていたのかもしれない。で、ハマったのは4~5年生の頃。親父が持っていたレコードを聴いて「あ、コレもビートルズだったのか!」と初めて聴くはずなのに何故だか“聴き慣れた”感覚の楽曲にすっかり魅了され、毎日学校が終わると走って家に帰り何時間もビートルズを聴いていたのを思い出す。両親が離婚して妹や友達とも離れ離れになり親戚や祖父母の家を順番に預けられていた時期、言葉の比喩ではなく僕は本当にビートルズに救われていたのだと思う。小学5~6年生の頃はレンタルレコード屋さんに足げく通い、未だ持っていないビートルズのアルバムをチェックしつつ、お小遣いが貯まるとそれをテープにダビングして貰いに行っていたものだ。・・・・そう言えば当時はレコードをレンタルして、カセットテープを買い、更に「ダビング料」なるものを払ってテープにダビングして貰っていたのだなぁ・・・・。倍速か?標準か?を選べるのだけど料金は変わらず、ただ待ち時間が変わるという(笑)。倍速でダビングすれば音質が悪くなる気がしていた僕はいつも“標準”でお願いして、その間約1時間くらいまたずっとビートルズのジャケットを眺めていた。当時の僕は朝起きてから寝る瞬間まで頭の中ではず~っとビートルズが流れていたような気がする。転校ばかりで、更には友達の間で流行っているアイドルだとかの音楽に全く付いていけなかった僕がますます学校で孤立していたのは言うまでもないのだけど。

 昔はよく音楽仲間の間で“ジョン派”か“ポール派”か?なんて話になったもので、バンドマンはほぼ100%“ジョン派”だった。“ジョン=rock”で“ポール=pop”という派閥だったので当時のバンドマンは絶対に“ジョン派”じゃなければいけなかったのだ。でも僕は当時から(今でも)“ポール派”だったのだけど、表向きはいつだって“ジョン派”で「ポールの音楽は聴き易すぎる」だの「rockじゃない」だの軽口を叩きながら心の中で「ポール様、決して本心ではございません・・・・」といつも謝っていたように思う。
 ビートルズが解散してから聴き始めたんで「絶対に生で聴けることはない」というのも僕の“思い”を盛り上げたのかもしれない。淡く切ない“音楽”みたいな(笑)。12年前「コレが最後の来日!しかもビートルズの楽曲ばかり!」と噂されたポール・マッカートニーのLive。嫁と二人で行ったのだけど、オレがあまりにも泣きすぎた為、恥ずかしいと怒る嫁VSよく途中でトイレに行けるな、と大喧嘩であった。普通泣くだろう?「お前も泣け!」とまで言わないのだからオレのことはほっとけ!・・・・っていうか、こんなに貴重な時間にトイレに行くか?!その10分間に演る2~3曲は?!漏らした方がまだいい。そんな思い出を秘め、まさかの去年の再来日!勿論、行かないワケがなく・・・・またも嫁と二人で。「帰りの飛行機は落ちていいんで行きだけは無事にお願いします!」と神様にお願いしながら着いた会場。テンション上がり過ぎで事前に飲み過ぎた僕はLive中にピークに・・・・ビールのプラコップに用を足そうとした僕に嫁は怒りまくり、またも大喧嘩に!途中でトイレに行けるワケがないじゃないか!じゃあ、どうすればいいのだ・・・・。

 毎日のようにキャヴァーン・クラブに通い詰めていた大のビートルズ・ファンであるフリーダは、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインから誘われ、彼の秘書となる。デビュー後、瞬く間にビッグになっていく“大好きなバンド”の為に献身に働き、ビートルズを影で支え続けた彼女。この映画を観るまでそんな女性がいたことすら僕は知らなかった。きっと世界中の殆どの人が知らなかったのではないだろうか?「まだまだ出てくるなぁ~、ビートルズ・ネタ」と、最初はビートルズ関連の“儲け話”にも思え斜に構えて観始めたのだけど、コレはむしろその真逆。本当に感動的な物語で、変に勘ぐった自分が恥ずかしくなるほどだった。先述したように、この50年間頑なにビートルズの話を拒否し自分の中で守り続けてきた彼女。じゃ、何故ココにきて映画化を承諾した?かというと、孫に向けてなのだという。「やがて老いてベットに寝たきりになった私をこの子(孫)が見た時、平凡な人生だったのだろうな、と思うでしょう。でも実は私にだって光輝いていた青春時代があったのよと、自慢したくなった」のだそう。ずっと口を閉ざしていた彼女が唯一自慢したくなったのが“孫”だというのが何とも微笑ましくも泣けるじゃないか。

 映画の最後「ビートルズに関する私の話はコレでお終い。最初で最後よ」という彼女のコメントが重い。きっとまたコレ以降は何を訊いても全く口を閉ざすのだろう。ビートルズの熱狂的なファンで、バンドを心底愛し、そしてバンドからも心底愛されたフリーダ・ケリー。物凄くデカい話なのに、物凄く個人的な物語なのだ。エンディングのリンゴ・スターの映像が頭から離れない・・・・。思い出すといつでも泣けてしまう、僕の人生の片隅にずっと残るであろう貴重な1本だった。

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