オアシス:スーパーソニック

 昔から僕は咳払いをすると大好きなオアシスの“Wonderwall”のイントロが頭の中で流れるようになっている。だからちょっと風邪気味なこの時期は大変だ。一日中ずっ~と“Wonderwall”がかかっているので(余程のオアシス・ファンじゃないと分かり辛いか)。今日はもう開き直って車内に繋いだiPodからアルバム「モーニング・グローリー」をリピートセットしてみた。95年、ブリット・ポップの代表「ブラー」の“カントリー・ハウス”のシングルにブリティッシュ・ロックの代表「オアシス」が“ロール・ウィズ・イット”のシングル発売日をぶつけてきて、どっちが勝つのか!と白熱した「オアシス VS ブラー」合戦。ちょうどその時に僕は幸運にも仕事でロンドンに行っていて、HMVの左半分が全て「オアシス」、右半分が「ブラー」という店内に物凄い衝撃を受けたのを今でも覚えている・・・というか、一生忘れないと思う。この90年代ロック史最大級事件の最中に本拠地ロンドンで立ち会えたのは僕の心の宝物だ。因みに、この対決はブラーの“カントリー・ハウス”が6万枚くらいの差をつけて圧勝(ブラーが27万、オアシスが21万)。が、実はブラーはそのシングルをカップリング曲の異なる2パターン用意してて、オアシス・ファンは「それは反則だろ!」と反発するのだが、結局「それが上流階級出(頭のいい)ブラーと労働者階級出のオアシスの違いだ」という意見で沈静化・・・・要は作戦勝ちだと。僕的にはそれもまた全然納得できずブラーを嫌いになってしまったワケだが(笑)。その後、僕は福岡で二回(00年と02年)、大阪(05年)、サマーソニック(05年)と計4回の来日Liveを見たけれど、そのうちの福岡は2回ともリアムが途中退場するという“事件”に立ち会えたのも僕の自慢のひとつだ。

 イギリスのロックバンド“オアシス”のドキュメンタリー映画『オアシス:スーパーソニック』。94年のデビューアルバム「オアシス(Definitely Mabe)」が(デビューアルバムとして)史上最高の売上を記録し、続く95年の2ndアルバム「モーニング・グローリー」もビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバム売上を30年ぶりに更新。更には97年の3rdアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」がUK最速セールスを更新した上、以降の4th「スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ」(00年)、5th「ヒーザン・ケミストリー」(02年)、6th「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」(05年)、ラストアルバム「ディグ・アウト・ユア・ソウル」(08年)まで全7枚のアルバム全てが1位となる大ヒットを記録!そのLive動員に於いても95年のロンドン・アールズコートで(二日間で)4万人を動員しヨーロッパの屋内ライブ動員数としてギネスに認定されたり、翌96年にはネブワースの野外Liveでなんと25万人を動員!しかもそのチケットに250万の予約が殺到したりと桁違いの記録を打ち出し続け、数字や記録上では“ビートルズを抜いたロックバンド”であるオアシス。オアシスの映画といえば06年にも『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』があったけれど、あれはよくある“Liveツアービデオ”だったのに対し本作は完全な“記録映画”で、ついこないだ公開された『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』に物凄く近い(似ている)作りになっている。僕みたいにアルバムは勿論、シングルも多分全部持っているくらい大のオアシス好きであれば「おぉ~!絶対観る!っていうか、早くDVD欲しい~!」ってなるのだろうけど、いや、実際どうなのだろうか?2010年に解散して6年・・・・彼らが“ロック・レジェンド”になるにはまだちょっと早い気がするのだ。っていうか、オアシスは解散したとはいえ未だメンバー全員が現役なのでどうしてもファンとしては再結成を期待してしまい・・・・まだ“レジェンド”にはしたくないというのが本音かもしれない。

 この映画がなんと鹿児島でも劇場公開される!ってことで「流石は天文館シネマパラダイス!最近のテンパラ、ガチでヤバイな」と驚いたけど、同時に「でも誰が観に行くんだろう・・・」と正直不安でもあった。が!初日の初回、確かにそんなに大きなスクリーンではなかったけど(ちょっと大袈裟に言うと)劇場はほぼ満席!いやマジで鹿児島にも“オアシス・ファン”ってこんなにいるんだ?!とちょっと感動であった。出来れば今この劇場にいるみんなと二次会(飲み)に行きたい!と本気で思ったほど。

 ビートルズでいうブライアン・エプスタインの存在である「クリエイション・レコーズ」の創始者“アラン・マッギー”に見出され(7人しかいない客の一人がアラン・マッギーで、しかも彼は当時付き合っていた彼女のバンドをたまたま見に来ていたのだそう)、94年9月に“スーパーソニック”や“リヴ・フォーエバー”など、収録曲全てが名曲である大傑作アルバム「オアシス」でデビューし、その年の12月にはオアシス史上最高の名曲である“ホワットエヴァー”(シングル)をリリース!そして翌95年の10月に「オアシスと云えばこの一枚」の2ndアルバム「モーニング・グローリー」を出し、一躍ロックスターの頂点に登り詰めたオアシス。このプロフィールだけも充分なのだけど、実は彼らの人気を決定づけたのはシングルに収められたB面の神がかった名曲群だったのだと思う。「アルバムにもれたのにまだこんな名曲があるのか?!」っていうのが、しかもシングルなのに3~4曲も入っていて、だからファンにとっては「シングルまで買わなきゃいけない」じゃなくて、むしろ枚数の少ない貴重なシングルの争奪戦にこそなったのだ。それは「このアルバムこそオアシス史上No,1」だと云われている(98年にリリースされた)B面曲集「ザ・マスター・プラン」に裏付けられているのだけど、もしかしたらコレもアラン・マッギーの作戦だったのか?!と思うと恐ろしい・・・・

 元々はギターの“ボーンヘッド”とベースの“ギグジー”が始めたバンドにリアムが、その後ノエルが加入し、そしてバンドが爆発的に売れたらノエル&リアム・ギャラガー兄弟以外の初期メンバーは全員クビになり、既にデビューしていた「ライド」と「ハリケーン#1」のフロントマン“アンディ・ベル”をベースに、「ヘヴィー・ステレオ」のヴォーカル&ギターの“ゲム・アーチャー”をギター、更にはドラムに「スタイル・カウンシル」のスティーヴ・ホワイトの弟アラン・ホワイトや、リンゴ・スターの息子ザック・スターキーをラインナップし、挙句ギャラガー兄弟の不仲によりバンドは解散していくのだからこの兄弟はホント“クソ野郎”だと思わずにはいられない。その成長過程に居てくれた人を足蹴にしてはいけないのだ、絶対に。・・・・とずっと思っていたのだけど、真実は全然そうじゃなかったのだな。

 暴力的な父から母親を守るために4人(3人兄弟と母)でマンチェスターの団地に逃げ、しかしそこでは「サッカー選手になるか、ロックスターになるか」しか、この生活を変える手段は無いという労働者階級として育ったノエル&リアム。全ての兄弟がそうであるように、幼い頃から彼ら二人も愛し合っていて同時に母親からの愛情を奪い合って憎しみ合ってもいたのだ。とにかく母親を幸せにしたいと願う兄弟。そして子供たちが大金を手にしてから再び現れる父親。「ロックバンドなんだから何をやってもいいのだ」という弟リアムに対し「プロになった以上はルールを守れ」という兄ノエル。バンドがデカくなり過ぎて、大企業にマネージメントされるようになり「昔からずっと居てくれた仲間はみんな追い出されてしまった」と嘆くリアム。「ロックバンドは“フェラーリ”に似ている。見た目はカッコイイけどスピードを出し過ぎたら制御できなくなる」というリアムの言葉通り、結果、彼らにもバンドをコントロールできなくなったのだな。映画が先述したネブワースでの25万人ライブで終わっているのが物凄く感慨深い。ボーンヘッドやギグジーもいたオリジナルメンバーでの時期で、まだ3rdアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」すら出てない頃だ。オアシスがデビューしてまだ3年弱の間に起こった真実の出来事。これはロックバンド“オアシス”をベースした、ノエル&リアム・ギャラガー兄弟の“家族”の物語だ。

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