評価される世界へ飛び込む

そして美容漬けの日々

 過剰な装飾を避け、直線だけで構成した店内。そこに温かみのある素材と照明を加え、理想を形で表現した。理想とは「硬さと柔かさの一体感」。修行時代、そして独立後と苦労を重ねながら、常に美容師のあるべき姿に悩み、考え続けてきた松村さんが、美容室の原点に戻るために出した結論、それが店舗を一から定義し直す事だった。 美容師の道を選んだのは大学浪人中。当時の進路に強い違和感を感じ、知人に相談したのがきっかけだった。「今思えば有り余ったエネルギーをどの方向に出していいかわからなかったと思うんですよ。自分の思いを話したら『なら美容師は?』と。何だその世界は!? となって翌日には美容室に面接に行きました(笑)」。両親を説得して翌年には美容学校へ。明確な評価がある世界を知った事が何より嬉しかった。神奈川の有名店に就職した松村さんは、そこで美容に関する全てを学んでいく。サロンワーク、コンテスト、ヨーロッパ研修、撮影とひたすら美容漬けの日々。20代も後半に入ると、全国屈指の実力集団の中で次第に頭角をあらわすようになった。

常勝の美容師が味わった
美容室を経営していくというリアル

「『サロンワークもコンテストもいっしょだぞ』と、いつも教わってました。コンテストで勝てない人はお客様の支持も得られないと。経験値も心の広さも、競争の中で育まれ、それがサロンワークに現れると」。コンテストに出場して次第に入賞するようになると、それに歩調を合わせるように指名も増え、リーダーを任されるようになる。カットコンテストでは数えきれないほど優勝、準優勝を重ねていく。ある意味、黄金期だった。「変に研ぎ澄まされてピリピリしながら毎日を過ごしている。受賞も当たり前みたいになると、そこから落ちるのが怖い。だから立ち止まれなかった。でも本当はそんな環境があってこそ走り続けられたと思うんですよ」。 輝かしい実績を引っさげて故郷鹿児島に帰り、念願だった自分のサロンをオープン。しかし一度は帰ってきた事を後悔したという。「それまでの華やかな毎日とは一転しましたから。お金の勘定もろくにした事のない人間がはさみ一つで店をやるんですから。感情とかプライドは神奈川にあるんだけど、やらなきゃならない事は全部こっちにある。人、お金、とにかくお店を維持していくために、これまでとは違う事を学ばなくてはなりませんでした。“鼻”をへし折られ続けて、何一つ思った通りのスピードで事が進まないワケです。 あとで大事だとわかったのは、志を持ち、自分を準備する事なんですね。綺麗事を言うつもりはないのですが、自分で生きてるんじゃなく、生かされているんだなと。そして何をするにしても自分が源だし、自分のあり方次第で状況が変わっていく」。

本来あるべき美容室の姿を目指し

淡々と積み重ねていく

 自分の店を持って13年。今回の移転は、自分の美容師としての信条を整理し、本当に必要とされる美容室のサービスとは何かを問い、本来あるべき姿にリセットする決断だった。「美容師を始めた時に思っていました。このお客様が次も来て下さるかどうかで今後の美容人生が決まると。ならば技術や装飾はさておき、喜んでいただくために努力をしないといけない。お客様はただ髪を切りに来ていて、お手入れしやすくして送り出してあげればいいのに、店の形ばかりが先行していた。本来はお客様が切らせてくれているから自分は美容師として存在できる。だからちゃんとお客様に向いて、話を聞ける美容師でいよう。そういう原点に戻ろうと思いました」。過剰な演出を否定するように徹底した引き算の設計を心がけた。必要にして十分な作りの中に「硬さと柔かさの一体感」という美容師としての理想を込めた。これ以上でもこれ以下でもなく。しかも誰が見てもわかる美意識がある。「自分たちが目指しているのは上質な “ふつう”です。 奇をてらわず、よく見るヘアスタイルだけど何かが違う。それには裏付けが必要だしベースがないと実現しないんです。自分を含め、技術者たちは毎月東京で最先端のカットテクニックを学んでいます。教えを受ける事で、自分はまだまだだと自覚します。習った最先端のカットをすぐに使う事はなくても、いつの間にか当たり前が進化して、ベーシックがガラッと変わる時がある。それがいつ来ても、私たちは準備できていますよと言えるようにしておきたい。底辺がブレないで淡々とそういう毎日を積み重ねていく。それが今後のブラウンの目標だと思っています」。

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