何が出てくるかわからない楽しさと
誰にでもあるお気に入りの味を

 女性スタッフオンリー。「暖色系」の“ゆるり”とした空気がある。天文館の路地に面したビルの2階の、隠れ家のような美容室。「Chae」という愛称で親しまれ、笑顔を絶やさない追立さんの、人柄がそのままお店になった印象だ。「女性スタッフのほうがリラックスできる方も多いのではないかと思って。相談しやすい話しやすい。そういう空間にしたかったんです」。例えばカラーリングを“マロングラッセ”、“抹茶ムース”などスイーツに例え、遊び心を持って説明してきたのも、お客さんに楽しんでほしいという気持ちから。女性ならではのアイデアが店をより一層明るくしている。入り口にはドロップス缶がズラリ。もちろん店名の由来もこれ。「お店にある缶はお客様が買ってきてくださった物です。ドロップス缶って、ずっと形は変わらないですよね。でもいろんな味が入っていて缶を開けるたびに何が出てくるかわからない楽しさ、そして誰でもお気に入りの味がある。そんな風に個性あるスタッフがいて、いつも新鮮な驚きと楽しさを提供したい。Drops はそういうお店です」。

指宿、東京、鹿児島
不思議な縁に導かれて

 美容師になり、お店をオープンするまで、途切れることなく「人」がこの流れをつないでくれた。16歳の誕生日で高校を“卒業”し、親友の紹介で鹿児島市内のある理容店のオーナーに会った。「人と話ができて音楽を聞きながら出来る仕事がいいです」。そんな無邪気な考えを聞いてもらい、紹介された指宿の理容店で働き始めた。「友達からは3日でやめるだろうって言われるくらい毎日大変でした。朝は早いし、夜は遅いし、手も荒れるし。しかも10代の遊びたい盛り。仕事を始めて1年たった頃やめようと思ったんですね。ならば一週間好きにしていいから、その後に決めなさいと。結局1週間目には『ただいまですー』って帰ったら、『ほらね、帰ってきた』って(笑)。あの時受け入れてもらえなかったらこの仕事はやっていないでしょうね。今となっては恩師にココロから感謝です」。その後、20歳になって上京する。それは美容雑誌でいつも作品が気になっていた古里オサム氏の店。「鹿児島出身の方で、友人から新店オープンの情報を聞きました。お店に相談して了承をもらい、1年かけて準備をしました」。東京での生活は美容学校との両立で忙しかったが刺激も多く楽しかった。「商品を売ろうとするな、知識を売れ。オサム語録のたくさんの知恵の中から繰り出される例え話。それがとても共感できて好きでした」。4年ほどの東京生活の後、帰鹿。結婚。すると今度は上京前に在籍した店の弟さんから声をかけてもらう。その後は合計3店舗で働いた。「ありがたかったです。いつも手を引いてもらうように導いてもらえました。私自身はお店を出す事は考えていませんでした。ただ店長として働いていたお店が事情により閉店する事になり、自分もその店を一旦やめたんです。自分で店をやるべきか迷い、いろいろとテナントを探したんですけど、結局以前店長を務めたこの場所に帰ってきました。ここで店を始めてはどうかと薦められて」。導かれた末のオープン。「私は正恵という名前なんですけど、若い頃『自分の人生は正しくもないし恵まれてもいない』なんて思っていたんです。でも望みが叶わない時、それは課題であってクリアするまで繰り返される、自分にとっての学びだと。それがわかったら大丈夫って思えるようになりました。自分の中の余分なものが消えたので、今は一歩ずつが軽いです。それにどう見ても、私は常に周りの人に恵まれていました」。

いつかはオリジナルのドロップス缶

支えてくれた人に感謝を込めて

 店内にはドロップス缶を始め、雑貨や写真など楽しい物で溢れている。スタッフの合成写真のユニーク度を競うファン(?)投票など、季節毎の企画にも余念が無い。それはただお客さんを楽しませたい一心。「美容とは関係ありませんけど、いつかオリジナルのドロップス缶を作りたいです。いろんな味を詰めて。味は出身地にちなんで指宿サイダー味とか。あとハイビスカスに名物のオクラ味……美味しくないか(笑)」。ドロップス缶は一つの目標。これまで追立さんの背中を押し、手を引っ張ってくれた人々に、いつか、ささやかな御礼の意味を込めて配りたい。「祖母が100歳を超える長寿でした。しかも90歳代まで現役で駄菓子屋を営んでいて、店先にはいつもドロップス缶が並んでいました。だから『ドロップス』は思い入れある名前。好きな音楽を聞きながら、お客様と接しているのがやはり一番楽しい。16歳の時のわがままがそのまま叶っています。私も祖母のように100歳まで働けたらいいなあ。いや、でも一生仕事やってますよ、たぶんそうです(笑)」。

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